今日のフクロウさん

コバヤシがほぼ毎日書くエッセイのようなもの

2017年7月1日(土)


・すべてがつながっている。

技術は技術だけではないと思う。

手先が上手、体の使い方が上手など様々な要素は本当に大切なことだ。

だけど、技術の練習をすることだけが、それを高める方法ではない。

それをずっと思っていた。

最初にそれに気づいたのは、まだ医療とはかけ離れたところにいる学生時代。

サッカーばかりしていた頃だ。

受験勉強でサッカーとだいぶ離れていても、その受験勉強をどんなスタンスで取り組み、日々を成長していくか?

そうやって取り組むことで、引退した時よりも、自分が上手くなっていたのを感じたことがある。

僕たちは技術の切り売りをしているのではない。技術は僕自身であり、僕の人間としての成熟とも大きく関わっている。

人生をどのように歩んでいるのか?社会人として、大人として、親として、自分がどうあるのか?

それを磨けるのは、診療現場以外の方が多い。

すべての出来事がなんらか関わりを「持てる」。

どう起きるか。

何を買うか。

どう接するか。

どう時間を使うか。

どのように物事に取り組むか。

生活を、仕事を、自分を、磨くように過ごしたい。それは本当に楽しいことだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。自分の人生を歩むとは、そういうことでもある気がします。
                                    小林 克

2017年7月2日(日)


・僕たちはこの世界に自分の世界を投影する。

僕にとって見えるこの世界は、半分は現実にある世界で、半分は僕の思い描いた世界だ。

この世界に無意識に投影してしまう、僕の世界は、僕の過去の経験からくるイメージの世界である。

妻に母を重ねていたり、

子供に自分を重ねていたり、

上司に父を重ねていたり、

社会に両親の雰囲気を重ねていたり、

僕たちは様々に現実の世界に知らず、知らずのうちに自分の過去からくる世界を重ねて見てしまう。

もしかしたら、僕たちの使命は、そこから一歩踏み込んで、

現実をしっかりと見つめ、

妻をみつめ、子供をみつめ、

新しい記憶で自分を楽しく、楽しくうめていくことなのかもしれない。

そうやって自分の心に整理をつけていくことなのかもしれない。

それは繰り返し、繰り返ししていくしかないこと。

近道はない。

人生に本当に大切なことは近道はない。

だから、繰り返し、繰り返し紡いで行こう。

つらいことかもしれない。でも少しずつ少しずつちゃんと向き合えばその矛先は変わっていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。たくさんのごめんねのあとに、見えてくるものは必ずある。
                                    小林 克

2017年7月3日(月)


・ごめんね

ごめんね。なかなか一緒にいてあげられなくて。

ごめんね。ちゃんと接してあげられなくて。

でも、本当は大好きなんだ。

何時間も抱きしめていたいと思っているよ。

君がすくすく育ってくれるのを心から願ってる。

背伸びしなくていいよ。普通でいい。

君が大切なものを僕も大切にするよ。

つらいことはあるのかもしれないけど、いつもそうでない方向にものごとがすすむことを願っている。

本当にいつもありがとう。僕の方が感謝したいくらいだよ。

幸せを教えてくれた。本当にありがとう。



子育てはたくさんのごめんねで溢れている。いつも情けなくなるのは、自分自身だ。そうやって少しずつ学んでいく。自分の本当の想いさえも。

今日もみてくださり、ありがとうございます。どんな時も帰っていくのは自分自身。本当の自分は意識しないと感じれない。かみしめよう。全てはきっと良い方向に向かっている。

                                    小林 克

2017年7月4日(火)


・ちゃんと喜ぶ。

うれしかったこと。

楽しかったこと。

悲しかったこと。

そんな気持ちに素直になるのは、もしかしたら簡単なことではないかもしれない。

でもこれを留める習慣はできたら早く手放したい。

残った感情はやがて怒りに変わることもある。

消化不良になってしまう。

やがて自分がどう感じているのかわからなくなって来てしまうかもしれない。それが人によっては、あまり感動しなくなったり、あるいは過剰な感情ででてくる場合もあるだろう。

嬉しい時は、思いっきりそれを感じよう。

時間を止めて、ちょっと大げさなくらいそのウキウキした気持ちを堪能するくらいでちょうどよい。

悲しい時、ゆっくりじっくりでいい。悲しいは愛しいと一緒。でも、それに気づくのには時間がかかるから。

喜びは大きく感じよう。その広がる想いは自分の外まで広がっていく。

簡単でない時もある。だからできる時にちゃんとしておこう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。その積み立てが変化の土台。
                                    小林 克

2017年7月5日(水)


・調子がよいこと。

調子が良いというのは何にも変えがたい。

体が調子がよいというのは、心の状態を保つ上でのまぎれもない基礎だ。

心の状態を保つというのは、人間関係の基礎だ。

そして、よい人間関係は、組織の基礎である。

だから、体を保つという努力は個人としても、組織としても大切にしたいものだ。

もっと尊いのは、その方法をみつけることだ。

体の調子をよく保つ方法は、人によって違う。

睡眠時間も違えば、食生活も違うだろうし、

必要な体操や、その方法も違うだろう。

どうしても無理がくるものだから、そうなるサインや、客観視できることも大切だろう。

自分にとっての、調子ってなんなのか?というこも大切なクエスチョンだと思う。

体は元気でも心が崩れて、体が崩れていくこともある。

そうやっていくうちに少しずつ自分がわかっていく。

それがきっといいんだろうな。

今日もみてださり、ありがとうございます。自分の扱い方は僕も、試行錯誤。じっくり取りくもう。
                                    小林 克

2017年7月6日(木)


・明るくいれるために

つらいときもきっとある。

そんな時はしっかり泣いたらいい。

悲しみにくれる時も、自分の不甲斐なさに悔しさをにじます時も、

思いっきり泣いて。

それはたぶんこれからを歩む最初の一歩になる。

思いっきり泣いたら、

切り替えよう。切り替えるとかはないかもしれない。それは、日々をすごそうという意味。

日々は明るくすごさないといけない。

だから、明るくすごすために、たくさん予定を入れたり、

やることで自分のスケジュールを満たしたっていい。

もし、どうしても癒えない時、

だれかに話すことや、心残りがなくなるまで、思うことをすることや、そういうことが助けになるかもしれない。

明るくいれるためにする努力は尊い。

明るくいることは、誰かがしてくれるわけではないから。

誰かのおかげで明るくいれるのは、確かにそう。だけど、それはその人が明るいから。

明るくする方にまわろう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。自分がどうしたらいいかはわかっている。具体的に問いかけてみればいい。

                                    小林 克

2017年7月7日(金)


・リスペクト

みんな頑張っている。

サラリーマンは仕事に、主婦は家事に、子どもは成長するために、引退した人は次のチャレンジに。

たとえ怠惰にまみれていようと、その人もまたそんな自分と戦っている。

闘病している人も、それを支える家族も。

もしかしたら、ある一側面から見たらものすごく不十分な意識でやっていると言われるかもしれない。

でも、それだって理由がある。

もっと目線を広く見れば、そういう中でその人が戦っているのが見えてくる。

リスペクト。

こういう気持ちで常に臨床の場に立ちたいとおもっている。

どうやって支えたらいいか?

お体の特徴、お体の現状、その方の状況、それぞれにあった、その日その日にあったサポートがあるはずだ。

そして計画的に支援する。

計画書にはできない計画だ。医療には必ずそんな側面がある。

一つ一つを準備しよう。今日の自分をみつめながら。

今日もみてくださり、ありがとうございます。自分の想いでタッチも変わる。これは本当に大切なこと。

                                    小林 克

2017年7月8日(土)


・シャキッとしないそんな時は。

天気が色々に変わる。

雨だとおもったら、カンカン照りの酷暑になったり、

そうおもったら曇天だったり。

気圧の細かな変動は、自律神経の微調整が頻回に行われる。さすがに体もついていくのに目一杯になって、体が重だるくなりやすい季節だ。

そんな時僕は白湯を飲む。

臓器はいつも熱を上げるためにあくせくしているから、朝のはじまりとか、夜落ち着いた時とかに飲むと落ち着く。

ストレッチをする。

1日動き回ると、特に足は気づいてないけど張ってるものだ。張るということは、高い筋緊張が定常化しているということ。リセットすることで、神経も落ち着く。

お笑いを見る。

笑うことは、何より大事。どんな時も明るくあれることは、強さだと思う。今は色んな情報に触れれる。良いものも、悪いものもたくさんあるのかもしれないが、流されるのではなく、どんな時にどんな情報を入れるのかを選択できるのは、大切だと思う。いつも使えるお薬のように見ている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今は夏への準備。意識して大切に準備していこう。

                                    小林 克

2017年7月9日(日)


・本当に大切なもの

人生って、そんなにたくさんのものを抱えては走れない。

でも、関わるものがどんどん広がって、大きくなっていくのは、自分が大切だと思っているものが、どんどんシンプルで本質的になっていくからではないだろうか?

家族ってものから、家族との楽しい時間とか。

楽しい時間にフォーカスするから、そこが浮き彫りになる。

今日も楽しい時間をすごすために、自分の意識もそれに合わせて変わるし、それは他の家族にも影響する。

それは、色んな経験をして、どう生きたいか、どう育てたいか、そんなことが明確になっていった末、どう過ごしたいか、何が大切かが明確になったということでもある。

夢というのも、変わっていく。夢を叶えるために必要なことは山ほどあるかもしれないけど、総じてこんな意識を持ち続けるとか。夢というものから、具体的な実践に変わっていく。

それは、そこまで夢を掘り下げたからできること。もしくは、直感的に感じることかもしれない。どちらにしろ自分にとって、ほんとうに大切なものが何なのかわかるようになってくるということだ。

背負えば、背負うほどシンプルになっていく。明確になっていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。
シンプルというのは、背景の膨大なものを端的にした形。
                                    小林 克

2017年7月10日(月)


・睡眠

睡眠は量も大切かもしれないが、

そんなにたくさん眠れる毎日でもなく、

帰る時間によっては、バラバラにもなる。

社会人にはどうしてもあることだ。

だから、起きるという方を僕は意識している。

朝スッキリと、だいたい同じくらいの時間に起きる。

これが目標だ。

朝スッキリとといのは、非常に大事で、そのためにどうしたらいいのかというのを考えるのが、僕の睡眠を高める術となっている。

その方法は、きっと人によって違う。

他人の方法は参考にはなるが、何よりも自分の方法をみつけることが大事だ。

僕も色々試してみている。

白湯を飲んだり、体操をしたり、好きな本を読んだり、色々試してみた結果、

今の僕にあっているのなぁと感じている方法は、

寝る前に開脚を、すること。

一日の足の疲れをリセットするつもりでやることでもあるし、自分の古いパターンを変えていくためでもある。

開脚への憧れのようなものもあり、

寝つきも寝起きも今のところ良いので、繰り返し試してみている。

何が合うかは、その人の考え、憧れ、お体の状況、年齢、好き、嫌いなと様々な要素が関わる。

自分なりが良いのだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。朝一定の時間に起きることも大切なこと。起きるを前提に準備する。

                                    小林 克

2017年7月11日(火)


・一貫性

何かものを発言する時、できる限り一貫性を持ちたいと思う。

何かでアドバイスをする時、自分だったらこうするというのをできる限り明確にしたうえで、意見したい。

人は他人と話す時、ポジショントークにおちいりやすい。

ポジショントークというのは、相手に向けた意見なのではなく、自分の立場を優位に立たせようとする言葉だ。

このような立場に陥ってしまうのは、本能だろう。

僕の中でポジショントークというのは、自分の力を不必要に誇示しようとしていることとか、相手をコントロールしようとしてしまうことだ。

だから、まず気持ちが大切なのだろうと思っている。

できる限り相手の過程を、尊重すること。

そして、アドバイスをする時は、ぼくだったらこうするというのを明確に提示することで、あなたと私をきっちり分ける。

アドバイスする段階で上下ができてしまうから、共通の尺度で論議せず、僕は僕、あなたはあなたというそれぞれの道のりを歩んでいることを明確にすることを心がけている。

時には言いぶりでポジショントークになってしまったり、言った内容でポジショントークになってしまったりもする。

悪いわけではないが、少しでも多くの考程を踏むことで、より良い一言が産めたらいいなと思う。

今日もみてくださり、ありがとうございます。わかっているけど難しいこと。だからこそ一つ一つを積み重ねたい。
                                    小林 克

2017年7月12日(水)


・平和

中学生くらいのころ、「平和であればいいのに。」と思った時の平和という言葉には、

単に戦争なく、過ごす世の中であるというだけでなく、心の平安という意味も含めて感じていたような気がする。

争いがなくなれば、平和かというとそうではない気がしていた。

1人1人の心が平安な状態が平和なんだろうと、なんとなくそんなことを中学生の時は、意識することなく感じていた気がする。

どうすれば心は平安になるだろうか?

安全が保障されたらだろうか?

お金がたくさんあったらだろうか?

でも何かがあるから安心で穏やかというのは、それがなくなった時の恐怖が背後にある。

特に0か1の選択だけにその振り幅は大きい。

何か持っているから平安であるというのは、難しい気がする。

本当の平安とは、こどもの時のような感覚なのではないかなと思う。

明るいことに理由なんかなかった。

それは、知らなかったからかもしれない。

でも、大人になった僕たちは、知ったつもりになっているだけなのかもしれない。

賢くなったつもりになっているだけなのかもしれない。

僕たちの知り得る経験や、成功体験なんてほんのわずかで、自分たちがいつもしようとするリスク管理みたいな予想なんて、本当はわからないはずなのに。

知ったつもりが、全然知らなかった。

大人であったつもりが、こどもと大差なかった。

だから平安というのは、そんな自分が自分にかけた糸を一つ一つ解きほぐしていくことなのかもしれない。

きっとあるのは、自由で安心した世界だ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。外側に安心はないのだろう。

                                    小林 克

2017年7月13日(木)


・瞑想

体の状態もとっても大事だけど、

心の状態はもっと大切。

スマホの中で、アプリとかを一度起動するとその起動状態が残って、動作が悪くなるというのがある。

それを手動で消していくのだけど、また検索とか何か見たらそれがたまっていく。やがて動作後には、その起動状態をキャンセルすることが習慣になる。

それと似たようなことが心、というか脳にもある。

何かした考え事、見た情報、経験、想起したものなど、知らないうちに溜まっていったりする。

それが結構溜まっているなというのは、瞑想をしてみるとわかるかもしれない。

僕がよくやるやり方は、前も何度か書いたことがあるけど、頭に浮かぶ色々なことを、スマホアプリを消すかのように、手放していくこと。そうしているうちに、大きくなる呼吸や、息が通って、吸いやすくなり、呼吸に集中できるようになる。

手放すことも一つの楽しみと感じるくらいになってきた。

わりに思い出を大切に思い返すのが好きなタイプなのだけど、

それを手放すことで、思い返すのは後の楽しみにとっておこうと思えるようになった。

手放したって、自分から記憶がなくなるわけではない。

起動状態を解除するようなもの。

心を保つというのも、工夫が自分を支えてくれることもある。

今日もみてくださり、ありがとうございます。スッキリすると息が入る。息が入るのがわかると、その気持ちいい状態を続けたいと思える。

                                    小林 克

2017年7月14日(金)


・フクロウさん

はじめて妻にあげたプレゼントは

フクロウの形をした、水晶だったように思う。

お守りとして。

と、プレゼントしたのだった。

フクロウは、夜、静かに目を開けいてくれる。

寝ている間も守ってくれる。そんな意味があったのを覚えていた。

真夜中にふと目が覚めた時、小さい時は怖かった。

静かで暗いその時間は、何かいつもの部屋とは違うみたいで、色んなことを想像しては、不安や怖さにかられたものだ。

フクロウはそんな時、見守ってくれる。

誰しも不安な時はある。

そんな時に自分を支えてくれものがあったら助かる。

何かそんなぬくもりを感じるもの。そういうものが自分のまわりにあるといい。

ふさぎ込むような夜だって、大切なひと時になる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。一つ一つの言葉も何かお守りのような、暖かなものでありますように。今日の、フクロウさん。

                                    小林 克

2017年7月15日(土)


・自分の道はここにある。

他人のことを疎ましく思ったり、

誰かを妬んだり、

そういうことをすることもあるだろう。

それは、決して悪いことではない。

いまの自分を振り返ることになるし、理想を強く思い描くことになる。

自分と理想との見えない距離が、

あなたを疎ましくさせ、嫉妬させ、なぜだかわからないけど腹を立たせる。

それは、大抵自分に腹を立ててるのだ。

だけど、そんなに自分を傷つけることができるほど、頑張ってきてないわけではない。

必死にやってきたし、最良と思うことを強い心を持って進んできたはずだ。

だけど、理想とは程遠い。

その見えない距離に焦りを感じ、腹をたてる。

色々考えてもいいけど、帰ってくるところは同じじゃなかろうか?

自分の道はここにある。

真似事したって逸れることなんかできない。

他人の道に割り込んで歩くことなんかできない。

もうすでにそこに立っている。

自分のレールに乗ってるのだ。

その道を歩むしかないことは、本当はわかっている。

だから深呼吸をして、こう言おう。

「焦ることはない。楽に行こう。」

今日もみてくださり、ありがとうございます。見える結果はゴールではない。ただの一過程。楽に行こう。

                                    小林 克

2017年7月16日(日)


・ありがとう

待ってくれて、ありがとう。

許してくれて、ありがとう。

一緒にいてくれて、ありがとう。

家族の中にたくさんのありがとうが広がれば、心の迷いは少しずつ溶けていく。

お礼でもなく、

礼儀でもなく、

深く底からくる感謝。

感謝は、深さがあることを21の時に知った。

それは学びである。

今までしてくれたこと、

自分が今までしてきたこと、

自分の本当の想い、

そんなことを外側から、内側から、見続け、感じ続け、そうやって、一つ一つの糸を重ねていくように、

自分の存在を知り、

自分の中にも外にもある「ありがとう」を重ね合わせていく。

僕たちの扱う言葉、所作には、自分のそんな過程が宿る。

耳をちゃんと耳として使うこと。

目をちゃんと目として使うこと。

そうやって折り重なった心が、環境を変えていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。心を整え、ありがとう。

                                    小林 克

2017年7月17日(月)


・見えないところこそ

誰も見ていない時、どういう過ごし方をしているかが、本当の強さだと感じる。

昔の人は、天地が見ていると襟を正した。

すっかりそんな感覚も、戦後以降世界的に、薄まってきつつあるが、

自分の大切な仕事をもち、

大切な家族をもち、

少しでも長く、そんな時を過ごしたい、過ごさねばと思った時、

見せかけの自分が、自分のなかに姿を見せ始めた。

いかに煩雑な心づもりで生きてきたかをヒシヒシと感じ、

今もこれからも、一つ一つを積み重ねて生きたいと感じている。

自分という勉強は、見えてないところからがスタートだ。

だらだら考えないこと。

思い立ったら、さらっとやること。

あるものごとにどうフォーカスしていくかが、本当の自分を成長させる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。いつまでも成長していきたい。年が月日が重なるたびに。時が経つことはいいことだ。それだけ素敵に近づいている。
                                    小林 克

2017年7月18日(火)


・さらっと忘れること

主張の行き交う世の中だ。

互いに言いたいことを言いたいように言っていたら、当たり前のように平行線で、やがて別れていくのが落ちかもしれない。

バランスなんてそれぞれで違うんだから、他人が言えることなんてあまりない。

さらっと忘れること。

これはどんな場面でも尊い。

うにゃうにゃ考えてる時には、良いところには落ち着かない。

一回離して頭の容量あけて、

そうすると収まるところにおさまっていく。

絶対な主張なんてないし、主張せねばならないこともない。

なんとなくそんな感じを持っている人は

えらく懐が深く感じるものだ。

意識しないとできないなら、意識するのも悪くない。

「いやーオレバカだから。」

さらっとそう言えるのは、すごいことだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。さらっと流れてるのがいい状態なのです。とどまらない。とどめない。
                                    小林 克

2017年7月19日(水)


・大丈夫。

リハビリテーションでもオステオパシーでも脳の活動について考察する。

僕が脳の活動の中で、大事にしている生理的な法則は、

・パターン
・繰り返し

この二つだ。

パターンというのは、人間の行動もそうだし、運動もそうだし、精神的なものもそうだけど、複雑な脳活動の中で、人はある一定のパターンをつくる。

パターンで記憶されていると言ってもいい。

そして、それはどこか非効率で、しんどいのだけど、安心するものとなる。

もう一つは、繰り返しの法則だ。

繰り返すと強化される。ということ。

だからあるしがちな非効率なパターンは、自然と繰り返され、強化されているパターンでもある。

これが人は自然になっているため、そのパターンが変わろうとすると、違和感で感じるようになっている。

違和感とは、「痛み」であり、「しんどさ」でもあり、「不快感」だ。

リハビリでもそうだし、オステオパシーでも、人の適切なパターンを定常化しようとするものだ。

オステオパシーはそれを構造に対してアプローチし、リハビリは運動の指導などてアプローチしている。

正しいパターンを繰り返すこと。

最初は、うまくいかないかもしれない。それは、回数が少ないから。

最初は少しつらいかもしれない。それは、違和感だから。

これは、体のことも、生き方のことも、心のこともだいたい同じようなところがあって、チャレンジするということは、なんでも古いパターンとの戦いになる。

戻りたくなるんです。そちらの方が安心だから。

不安になるんです。今まで経験したことないことだから。

だから、ただただ繰り返す。深く考えずただただ繰り返す。

大丈夫。

人はなかなか変われないけど、必ず変われるものです。

今日もみてくださり、ありがとうございます。必ず変わろうとする時は来るんです。体は変わっていくのだから。痛みとはそういうことです。

                                    小林 克

2017年7月20日(木)


・歪んで笑ってたんだ。

ドコモのCM反則やな(笑)

あんなの見せられたら、もう泣くしかない。

昨晩も終電で帰ってきて、

机の上を見たら、

「シソジュースつくったよ」って。

本当僕なんかにはもったいない。いやいやありがとうございます。

歪んで笑う男だったんだ。

にかって、笑ったら右側だけ口角がよく上がってね。

左右対称には笑えなかった。

娘ができて、

なんとか笑わせようといつもよりも満面に笑うことが増えたんだ。

で、笑ったら、僕も嬉しさのあまり、もっと笑うじゃない?

顔が筋肉痛って、はじめてなったよ。

そしたら、いつの間にかさ、

左の口角もよく上がるようになってた。

いつの間にか普通に笑えるようになってたんだ。

本当。かわったんだよ。

変えて、くれたんだ。

君たちは少しずつ大きくなって、

僕たちも少しずつ年をとって、

振り返るのは、死んでからの楽しみにしとこうって思ってる(笑)

一人では味わえなかった幸せを今めいいっぱい感じて、

笑って、笑って、笑っていこう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。大切な一日が今日もはじまるよ。

                                    小林 克

2017年7月21日(金)


・悲しみもうれしさも苦しさも楽しさも。

喜びの道の途中だ。

悲しさも

うれしさも

苦しさも

楽しさも

いろんな感情を感じてきたと思う。

振り返ってみたら、色んな出来事のなかで右往左ていたかもしれない。

でも色んなことが完璧にすぎてきた気もする。

今思ったらあの出来事は、自分にとって、完璧なタイミングだったなぁとか、

あの時は苦しかったけど、あれがなかったら今こんな考えもててないなぁとか、

振り返ってみると、これが自分の、人生だよなって思わざるをえないよね。

記憶に残るのは、ザラッとこしたものだけなのかもしれないけど、

そのザラッとこしたものは、どれも自分になくてはならないピースだ。

毎日が不完全で、

毎日右往左往して、

毎日ああもっとできたなとか、うわーしんどいとか、ああ楽しいとか、色々あるだろうけど、

残念ながら完璧なんだよね。

自分が本当に望んでることに、まっすぐ、まっすぐ、自分にしか踏めない道で歩んでる。

今まで寸分狂いなくそうだったんだから、

これからも、そうなんだよ。

うれしさも、悲しさも、苦しさも、楽しさも

全部喜びの道の途中。

必ず至るなら、どんどん進もう。ゴールがわかってるなら、もう止まれないさ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。最高の人生なんじゃなくて、人生は最高なんだろうと思う。
                                    小林 克

2017年7月22日(土)


・フラットに保つ。

患者さんの前に立つ時も、セミナーで壇上に立つ時も、できるだけフラットな心と人間でありたいと思う。

意識してみると、これがなかなか難しい。

いつも対面するのは、自分の弱さだ。

静かになろうとすると、逆に際立つというのもある。

どんな状況の中でも、自分を保たせてくれる魔法の言葉がある。

「今の自分にできることを。」

完璧じゃないから、努力できる。

完璧だと思ってたものは、実は必死に保とうとしていただけで、

実はガクガク震えていたのだ。

右往、左往するから真ん中に戻れる。

そんな不安定な自分をまっすぐ立ち帰らせてくれる。

「今の自分にできることを」

これが一番シンプルなんだ。

シンプル イズ ベスト

ベスト イズ シンプル

今日もみてくださり、ありがとうございます。何にもないが一番むつかしい。

                                    小林 克

2017年7月23日(日)


・洗われているような感覚

自分が意固地になっているものがある。

後生大切にしてしまっているものがある。

それが抜けるとなんとなく自分が崩れてしまう気がして、自分が情けなくなってしまう気がして、強く握り込んだものがある。

プライドだ。

でも、ある時握り込む必要がなかったことを知る。

それは本当に欲しいものはすでに持っていた。持つことになっていたということを知った時だ。

そうすると、今まで後生大事に持って振舞っていた自分の習慣は慌てふためく。

洗われるような感覚。

怖さを感じながらも、溶けていくような感覚。

よくいう角が取れて丸くなる。そんな感覚。

それぞれにそんな経験がある。

響き合って角が取れていく。流れはスムーズになっていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。本当のリスペクトって、そんな感覚の中で生まれるものだと思う。憧れも、羨望もなく、ただ対等に尊重する。
                                    小林 克

2017年7月24日(月)


・雨が過ぎ去るのを待つ

感情にさらされた時、

たくさんの記憶が雨のように降ってくる。

過去の出来事。過去の感情。それらを元に自分で勝手に思い込んでしまった考え。

雨に立ち向かうことはできない。

立ち向かってもとまることはない。逆に勢いが増す感じがするだろう。

どこか良い屋根があるところを見つけて、そこで過ごそう。

知らない間に雨は止んでいる。

そのうち、雨は降らなくなったと思うかもしれない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。人によって色んなパターンがあるけど、自分なりの対応の仕方は探求したいものだ。

                                    小林 克

2017年7月25日(火)


・すべては自分の心

現実はあまり関係ないことが多い。

現実の正しさはあまり関係がない。

こっちの方が正しいのに、

こんなに自分はしてるのに、

逆にあっちはあんなに適当なのに、

そうやって、      自分の心が曇っている。

そんな時は、だいたい現実も曇ってくるものだ。

自分の心をさらに曇らせるかのように感じることだろう。

想起するというのは、実はそれだけで力が働いている。

楽しいと思うことは、楽しいに力を使うこと。

不安と思うことは、それに力を割いている。

気にしない力というのは財産だ。

水に流すというのは、小競り合いの時だけの言葉じゃない。

水とともに流れるような心でいたい。

そのためには、その流れにちゃんと乗るトレーニングが必要だろう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。楽しくあり続けたら、それが簡単になってくる。

                                    小林 克

2017年7月26日(水)


・謙虚であること

今できることに精一杯全力を尽くすこと。

イレギュラーもあるだろう。

人の目が気になって、前へ進むのをためらうこともあるかもしれない。

自分の中で様々に葛藤する迷いは、

自分をたえず、とどめようとする。

それが何かを分析することが大切な時もある。

だけど、多くの場合、

そこに止まろうとすることは、自分の変化を望まない体の慣習でしかない。

できることを精一杯やろう。

精一杯やるために、心を整えよう。

自分にとって、大切なことって何なのか?

本当にそれは大切なのか?

生きる意味。目的。

そういった自己の存在に対する考察が、自分を推し進める原動力となる。

ぼくにとってこの世界は、この社会はどんな存在だろうか?

そんな本質的な質問を自分に問いかける時は、きっとこれまでもあったはずなのだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今留めていることも、気づいたらなくなっているなんてことは、あるよ。
                                    小林 克

2017年7月27日(木)


・英断の秘訣

あまり考えて、考えて決めた決断は経験的にうまくいかないことが多い。

もちろん本当に重要で熟慮すべき決断のシーンはあるから、一概に言えないけど、

決断力というのは、日頃高めたいものの一つだ。

決断力とは、

・決め切る力。
・決めたあと、それに邁進する力

と感じている。

普段から迷って、迷って決めている人がする、熟慮する決断と、

常に瞬間、瞬間に判断し、迷わず決断している人がする、熟慮する決断は、

同じ熟慮するケースでも、そのあとの進め方や、その決断にハマり方が違う気がする。

決断力を高めるのに一番良い方法は、

「気づいた時にすぐする。」

これを徹底することだと思う。

見通せない未来に飛び込むことは怖いことだと思う。

でも、見通そうとしたって、どうせ見通せないのだ。結果なんてわからないじゃないか。

怖さもエネルギーだ。そのぶんのエネルギーは進める力に使いたい。

じっとしてたら怖くなるものだ。お化け屋敷みたいに。

怖さを感じる前に進んでしまおう。

小さな決断の積み重ねが、やがて大きな決断の時の力となる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。気づいたらすぐする。だんだん考えも変わってくる。

                                    小林 克

2017年7月28日(金)


・ 優しさを忘れないように

創始者である、スティルは本当に苦労した人だ。

オステオパシーなんてはじめは見向きもされなかった。

誰からも相手にされず、食べるに困り、本当に困窮した。

でも、そんな中彼を助けてくれる人たちがいた。

一つのパンを分け与えてくれるひと。

優しい言葉をかけてくれる人。

スティルは、「そうした人々の恩を決して忘れてはいけない。」という文章を残している。

一つ一つが優しさで成り立っている。

ステイルがオステオパシーを探求したのも、決して自分のためではなかったし、

そんなスティルを支えてくれた人たちも、自分の幸せではなく、誰かのために動いてくれたのだ。

この世界はそんな小さいかもしれないが、深い優しさで成り立っている。

僕もまた、そんな優しさを忘れてはならないなと今宵思う。

そう、忘れたくない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。きっとその優しさを出してくれるまでは、色んな葛藤があったかもしれない。そんなその人の過程を思うこと。忘れないために。

                                    小林 克

2017年7月29日(土)


・ 耳を耳として使う。

人は自分勝手な生き物だ。

話しを聞いていたって、自分の思っているように聞き、自分の都合のいいように解釈してしまう。

自分が話すことを考えて、人の話を聞いていたなら、

やっぱりそれはポジショントークにその会話を持っていってしまうだろう。

耳を耳としてちゃんと使うことは、いつの間にか難しいこととなった。

積極的傾聴という方法がある。

やり方は単純で、

相手の話に対して、「今この時間だけは、この人を自分の本当に大切な人と思い、ただ聞き、頷き、受け止めるということに専念する」ということ。

これをやってみると、感じるのは、自分の想念との戦いだ。

自分の思うことをあっちによせ、こっちによせ、押しのけ聞くことに意識を傾ける。

でも、これが聴くということなのだなと思った。

本当の「聴く」力はすごい。

ぜひ一度やってみることを勧めます。

今日もみてくださり、ありがとうございます。どんなに疲れていても、聴く時はスイッチを入れ替えたい。
                                    小林 克

2017年7月30日(日)


・ 愛はつながっていく。

幼少期に何かでとりこぼした愛も

やがてつながっていく。

その悲しい気持ちや何か欠けた感覚は、自分の個性とまじり、魅力に変わり、新しい繋がりを作っていく。

やがてそこで新しくできた愛は、横に広がっていき、自分が欠けていたと感じるものにも少しずつ輪を広げていく。

愛はつながっていく。

孤独を感じるのは、まだつながっていないところに目を向けるから。

幸せを感じるのは、つながっているところをしっかり見ることができるから。

自分の今あるものをまずしっかりとみること。

愛はつながっていく。

見えないものを信じることは、怖いこと。

だから、理性でしっかり繋ぎとめよう。

本当に大切なものはすでに手の中にあって、それが広がっていくといことを。

今日もみてくださり、ありがとうございます。このいい世界を透明なメガネでちゃんと見れるようになりたい。

                                    小林 克

2017年7月31日(月)


・ 時間を丁寧にでも大胆に使っていく

たまの休みは、なんかもったいない気になって、やりたいことを詰め込んで逆にキツキツなってしまうこともあるかもしれない。

時間を大切に使いたいという気持ちは、悪いことではないけど、それがネガティヴに働いてしまうこともある。

時間を丁寧に使うというのは、大胆にさっぱりと使ってしまうということかもしれない。

子どもとの時間にさっぱりと休みを専念する。

どっかに思い切って行ってしまう。

あるいは、完全に一人になって仕事に専念する。

とか、さっぱりとしっかりと時間を決めて使うことで、中途半端なネガティヴな心を追い出すことができる。

そうする方がリフレッシュもできて、逆に良かったりする。

仕事は終わりはない。次の出来事、次の出会いに満ち、どんどん変わっていく。

だからこそ、さっぱりと切り替えて、大胆に時間を使って過ごしたい。

そんな自分を高める時間の使い方ができる大人になっていきたいと思う。

今日もみてくだり、ありがとうございます。お金にもきっといえること。

                                    小林 克