今日のフクロウさん

コバヤシがほぼ毎日書くエッセイのようなもの

1月

 

今年もいよいよはじまった。今年のはじまりはいつだって一月から。

 

そんな毎日の中で、ひび気づいたことがあったり、思うことがあったり、解説してみたり。

 

もしよければ見てみてください。

 

こんなテーマで書いてます。(目次にかえて)

 

・元旦

・お正月

・排便のメカニズムは複雑だ

・粘り強く続けること

・子供のころ親が私にしてくれたように

・わたしの役職

・物事の引き方

・働くこと

・三つ子の魂百までもの、嘘

・一杯の缶コーヒーに

・「命の輝き」

・仲間

・自転車

・しんしんと降る雪の中で

・憧れ

・メディアと健康の知識

・考えること。

・癒すことと手放すこと

・幸福と成功について

・味わうことの光明

・反対勢力は二度抵抗する

・本の読み方

・白湯を飲む

・同じことを丁寧に繰り返す

・瞑想の意味、無意味

・特技、質問

・自分を癒すこと

・背中をさすること

・根源的な問いかけ

・習慣を大切にすること



2017年1月1日(日)


・元旦

今日は、新しい年のはじまり。

何度もこれは繰り返していることなんだけど、

いつも、なんとなく毎回新鮮な感覚があるのは、

少しずつ変わっていっているからだとも思う。

それはそうだろう。家族が増えたり、自分も年を一歳とっていたり、そのぶんたくさん学んで、去年の元旦とは違う状況だし、たぶん違う自分だ。

そして、やっぱりワクワクする。

新しい一年はどうなるのかな?

どんな出会いがあるのかな?

あれもしたい、これもしたい。

こんな状況を生きていたい。

目標を立てたりして。

そんなことができる素敵な1日。

どんな状況でも、今日だけは未来に希望を持とう。明日に光を見よう。

今日だけは、そう思ったっていいはずだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。これからの素敵な一年をお祈り申し上げます。

                                              小林 克
          

2017年1月2日(月)


・お正月

多くの親戚と会い、話をし、お酒をいただき

楽しいお正月をすごさせてもらっています。

そういう時は、なかなか貴重で、

自分には経験できない色々な仕事の話や、考えを聞くことができるから新鮮だ。

会社の話、

スポーツの話、

子供の話など、さまざまなことがあるけど、

中でも特に自分にとって大きく響くのは、

祖父の話だった。

祖父はもう亡くなっているが、僕と同じように自営業を営み生活していた。

祖父が最初何をやっていて、

そこからどのようにして自営業を営むようになったのか、

どうゆうふうに子供(父)たちに接していたのか、

その一つ、一つが僕の知らなかった

おじいちゃんの色んな姿を浮き彫りにしてくれた。

僕が理学療法士として、自分の進む道を決めた背景には、

祖父の死がきっかけでもあった。

巡り巡って、まさか自分が祖父と同じように自営業をすることになるなんて思ってもみなかったけど。

もっと話が聞きたかったなと思う時に、

それができないってことはあることだ。

だけど、

今もその生き様で僕たちの道を照らしてくれている。

こんなに勇気になることはないから。

生きた姿そのものが、生きた人生そのものが、巡り巡って誰かの道を照らすことがある。

そう思うと、僕の人生は僕だけのものではない。

精一杯、誠実に、ぶれずに生きようと思った。

今日もみてくださり、ありがとうございます。さぁ、一年はじまるなぁ!!


                                              小林 克
          

2017年1月3日(火)


・患者は資格は関係ない、治してくれるところに人は集まる。

年末、年始色々な方からオステオパシーへのお褒めの言葉から、期待の言葉をいただく機会があった。

今の医療現場は、人の体に関する全てのニーズを拾い、本当に健康という道へ進む体制には、やはり不十分なところがあるということを改めて思ったし、

その現在の医療の枠からはみ出ざるを得なかった人たちを支えることが、オステオパシーにはできる可能性があることを改めて感じた。

色々な手による方法論はあるけど、オステオパシーはやはり医療の世界から生まれたもの。最も医師や医療従事者とのコミュニケーションがとれるツールであると確信する。

つながるべきところがしっかりつながって。日本にしかできない。そんな医療体制をきずいていきたい。

一番つらい思いをしているのは医師だと思う。

ありえないプレッシャーの中で働いている。

みんなが専門分野として、協力し合うことで、患者にとっても医師にとってもより良い医療が作れるはずだと思う。

自分の師が昔言った言葉を思い出す。

「患者にとって、資格なんか関係ないよ。治してくれる人が先生と言われるのであって、そこに人は集まる。」

個人だけではなく、医療が本当にそういう体制を作れた時、はじめて医療先進国と言えると思う。

今日も見てくださり、ありがとうございます。いのちに近づけば、近づくほど、体のことがわかれば、わかるほど、やはり医師はすごいとも思うのです。だからこそ、僕たちにしか担えないものがあるとも思うんだ。

                                              小林 克
          

2017年1月4日(水)


・排便のメカニズムは複雑だ。

腸の蠕動運動に加え、腹圧の力、自律神経による内肛門括約筋の収縮、弛緩、体性神経による外肛門括約筋の緩み。

非常に、複雑な神経活動がからむ。

自律神経の活動がキーになることもあり、やはり日常のリズムというのが大切だ。

年末、年始普段と違うリズム、食事、楽しいお酒で素敵な時間を過ごしたことだと思う。

違ったリズム、違った食事への対応で体の方は、便秘になったり、あるいは下痢になったり、変化があったのでは?

おそらく今、まさに自律神経はそのリズムを取り戻そうとしているところだろう。

きっと体は重く、休みボケかななんて思ったり。

きっと眠気がきつく、休みボケかななんて思ったり。

いやいやボケてない。必死に働いているのだ。

仕事は休んでいても、神経は全く休んでいない。

これを知っていると、要所、要所で無理をしなくなる。少し仕事のペースをゆっくりしたり、消化のかかるものを避けたり、白湯など冷たいものより、暖かいものを飲んだり。

そうやって、体にする少しの優しさが僕たちの今日を支えてくれる。

今日も見てくださり、ありがとうございます。少しの優しさ。社会も人の体もそれできっと支えられている。
                                              小林 克
          

2017年1月5日(木)


・粘り強く続けること。

小さな頃は、サッカー少年だった。父がコーチをしているチームに入り、父にサッカーを習った。

小学校のころ大好きだったサッカー選手は三浦知良だ。

自伝的な映画があったりして、影響を受けた。

中学校に上がったらブラジルへ行くんだと言っていた時もある。

スポーツを通して学んだことはいくらでもある。

でも、特に

粘り強く続けること

これを育んでくれていたと思う。

今もあの時の習慣は、自分を助けてくれているなぁと思うし、

ああやって、必死になって本気になってやれる瞬間は本当に大事だったと思う。

そして、さらにすごいなと思うのは、その時憧れた選手が今もピッチにいるということだ。

今も粘り強く一つのことに人生をかけて取り組んでいる。子供のように。

その姿は、社会に出た今も僕を、多くの人を勇気づけている。

そういう存在があるだけで、十分人生の糧となったと思うんだ。

粘り強く続けること

今度は人生の使命を帯びて、さらに重要性を増して取り組むことが大切となっている。

あの時、学んだことだ。

今日も見てくださり、ありがとうございます。熱くなるよね。見てると。年をとればとるほど謙虚になりながらも、1日1日石を置くその姿は、サッカーだけでなく、あらゆる人の勇気となっていると思う。
                                              小林 克
          

2017年1月6日(金)


・子供のころ親が私にしてくれたように

いつも訪問先でラジオがかかっているところがある。

その中での話題が印象に残った。

介護の話だ。認知症がひどくなってきた肉親にどう接したら良いかという内容だった。

そこで言われていたのが、

「頑張らない介護をがんばってください。」

と。

認知症の患者さんは、言葉ではなく、こちらの表情や、雰囲気で相手を感じておられることが多い。こちらが善意でしようとする訂正は伝わらず、むしろいつも、怖い雰囲気を持った人と印象づけられることもある。

あちらこちらと徘徊するのも、本人なりの理由があってのこと。だけど、その理由をこちらが理解するのは、難しい。

だから、訂正するのではなく、一緒について歩いてみる。暖かく声をかけてみる。

あなたがまだ小さかったころ、母がそうしてくれたように。今度はあなたがそうしてみて下さい。

と。

ちゃんとしてよと気を張るのではなく、ただ寄り添う。

あなたが、頑張らない介護を、頑張ってください。


親にとって、いつまでも子供は子供であるように、子供にとっても親はいつまでも自分よりも大きな存在だ。

僕たちは自分の記憶にも残らないころ。一番手をかけてもらって大きくなる。

きっとその時の恩返しのチャンスを与えてもらっているのかもしれない。

利用者さんと一緒になるほど〜と感心し合ったリハビリの途中。

今日も見てくださり、ありがとうございます。ラジオからサラッとこんなことが聴けるんだから、介護の現場も本当がんばってる。

                                              小林 克
          

2017年1月7日(土)


・わたしの役職

今日の朝の会話


娘「まさるくんはー、お父さん」
娘「きえちゃんはー、お母さん」


娘「わたしはー、・・・」



父母「お父さんとお母さんの、子供だよ^_^」


娘「・・・」



娘「わたしはー、シンデレラ!」



父母「・・・」



父母「そうかー、役職はシンデレラか!」



肩書きは与えられるものではない。
自分で決めるのだ。


人生の主役は・・・、自分自身だ!




そう言ってる気がして、娘の成長を感じた(笑)

今日も見てくださり、ありがとうございます。日々の気づきは、きっと響きあうことがあると思う。

                                              小林 克
          

2017年1月8日(日)


・物事の引き方

スポーツ選手や、激烈に仕事をしているサラリーマンや職人が引退を考える時には、注意が必要だ。

多くの場合、体の神経のパターンというのは、習慣によって形成されている部分がある。

激烈サラリーマンは、その激烈な仕事に耐えれるように

スポーツ選手は激しいトレーニングや日々のゲームに耐えれるように

神経は自己の体を調整し、それに応じたパターンを組んでからだを運行している。

だから、僕たちはそれほど考えずに次の動作に移ることができるし、

急には耐えれないスケジュールに少しずつ耐えれるようになったのだ。

休みの方が疲れるとか、休み明けものすごい調子が悪いとかは、このためだ。

だから、このことを頭の中に入れて、物事の引き方を考えないといけない。

仕事は急に辞めれても、体は急には変われない。

少しずつペースを抑えながら辞めれるのならそれに越したことはない。

それが無理なら、予定をいれたり、トレーニングは続けたりとにかくリズムはゆっくり解いていくべきだ。少なくとも同じ時間に起きよう。

休日も一緒である。もちろん体を休めることが仕事だが、だらだら過ごすのが体にとって休めることとは違うということ。やることがないならストレッチをしよう。やりたいことをするのも、いいこと。物事から離れるのは、大切なこと。でも、違う刺激を入れないとなかなか本当に離れるというのは難しい。

今日も見てくださり、ありがとうございます。少しずつ慣らしてきたのだから、少しずつてを引いていきたい。当たり前な気がするけど、忘れがちなんだ。
                                              小林 克
          

2017年1月9日(月)


・働くこと

今、僕は働くことが楽しい。

日々の僕の施術院にきてくださる方たちにオステオパシーという技術を提供すること。

新たな病態の考察、

病気や治癒に対しての考えを深めること。

そして、施術を通して聞こえる喜んでくれている声

僕にとって、施術という行為は、患者とともに自分も治癒の過程に入ることだ。

手に感じられる動きと対話することは、自分自身もその流れに入り込んでいくことと同じように感じる。

だからこそ、

対話するからこそ、

施術というのは、施術家自身の人間観が反映するし、自分がどのように毎日を過ごしているかが反映する。

ずっと、どのように過ごすのが良いか考えてきた。

結論として、今思っているのは、

僕自身が生き生きいきていることが何より重要だということ。

毎日が明るいこと。

働きが喜びであること。

相手を受け入れていること。

信頼していること。

未来を信じること。

1日、1日が僕の施術を作っている。僕の施術はベッドに寝てもらう前から始まっている。

今日も見てくださり、ありがとうございます。未来を僕は信じたい。

                                              小林 克
          

2017年1月10日(火)


・三つ子の魂百までも、の嘘

どこかの誰かが言った

三つ子の魂百までも、と。

どこかの誰かが言った

基本的信頼感がどうだとか、幼少期の経験がどうだとか。

確かに解剖生理に基づくと、その時期の経験がつくる神経経路や、言葉を介さない情動の反応は、人にとって、大きなものではある。

だけど、大きなことを見落としている。

人は変われるということ。

幼少期に過ごした時間よりも、これから過ごす方が圧倒的に長い。

その一日、一日をどう過ごすか。

人は変わらないこともできるし、変わることもできる。

見落としてはいけないこと。

その論理を導き出した学者さんもまた、悲しみに、寂しさにとらわれていたかもしれないということ。

捨てることも、拾うこともできるんだ。

変わることは、できるんだよ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。新しく成人になる方が昨日大きな希望を抱いた一日を過ごし、今日がその希望を推し進める第一歩の日となりますように。

                                              小林 克
          

2017年1月11日(水)


・一杯の缶コーヒーに

一杯の缶コーヒーが心を落ち着かせてくれることもある。

少しの甘いものが安心をくれることがある。

知識やある一つのことだけフォーカスすれば、

砂糖の弊害や、乳製品の弊害、化合物、不平等な貿易など色々とあることは知っている。

でも、僕個人はできるだけ、そのような知識によらないよう意識づける

だって罪悪感を持って欲しくないから

そっちの方が問題と感じているから

食事が食事ではなく、何かの感情の代償となっている時がある。

時には、それも大切だけど、それが毎日になると自分には優しくはないよね。

自分も大切にするというのは、本当に難しいこと。

だけど、今の社会で健全に生きようとするには、必要だろうと思う。

まず、自分も大切にしてみる。そして、その後食事や、健康法。まず自分に合うと直感的に感じるものからはじめたらいい。

そうやって、試行錯誤を繰り返すことで、ようやく自分にあった距離感が身につきはじめる。

こうしなさい、ああしなさいがないから、逆に難しいのかもしれない。でも、大丈夫だから。

今日も見てくださり、ありがとうございます。自分にとって、何が必要か。直感を感じるのも大切なこと。たいていわかっている。

                                              小林 克
          

2017年1月12日(木)


・「命の輝き」

ドクターフルフォードという方が書かれた「命の輝き」という本がある。

この本は、僕をオステオパシーに誘ってくれただけでなく、何度も驚かせてくれている。

昨日もずっと考えていたことが一つ閃いた。すると、この本にある、一文が思い出される。

見てみると書いてあるんだぁ。

うわーすごいなぁと何度も思わせてくれる。

でも、不思議なもので、一度読んだ時には、その文章は、今日のように解釈できないんだ。

本というのも、僕が見たいように、今の僕にしか見えないように、見えるらしい。

この本を持っている人は、しばらくたってからもう一度見てみることを勧めます。

適当に開くだけでいいから。

多分必要なことはそこに書いてあると思う。特に医療関係者には。

そんな本と出会えたのは、幸福なことだと思う。

今日も見てくださり、ありがとうございます。オステオパシーの本は、訳が難しい。でも、この本は本当に神がかった訳になってます。読みやすいです。
                                              小林 克
          

2017年1月13日(金)


・仲間

仲間がいるからやることができた。仲間と一緒だから乗り越えることができた。

そういったことは、多くの方が経験してきたことだろうと思う。

特に何か新しいことを始めようとするとき、仲間づくりというのは、非常に大切なことだ。

たいていの場合、

僕たちの脳は、新しいこと、日常から離れることをしようとするとき、少し抵抗する。

それは、不安や恐怖や痛みとなって現れるものだ。

新しいことにチャレンジすることは、ある意味脳の神経パターンを変えていくことでもある。

だから、労力がいるし、脳は異常だと警笛を鳴らすのだ。

こういうとき、仲間の存在は非常に助けになる。

同じ状況で頑張ってる仲間がいる。

この意識は脳の中で、安心できる環境の存在を認知させる。だから、不安や、恐怖や、痛みを感じても、それが和らぐことかできるのだ。

そうやって、チャレンジを続けるうちにだんだん脳は切り替わり始める。

やがて、別の感覚で身体は動き出す。そのときには、もう別の神経回路が出来上がっている。

この過程は、リハビリテーションでもよく見られるものだ。

今日も見てくださり、ありがとうございます。けっこう誰もが自然とやっているけど、意識してやってみるとまた違うかもしれない。

                                              小林 克
          

2017年1月14日(土)


・自転車

僕の愛車は自転車だ。だいたいの移動は自転車で行っている。

昨日、少し時間があったので、自転車のメンテナンスをしてもらいに行ってきた。

前輪にブレーキが少しかかるような違和感があったためだ。

行って見てもらうと、良いときに来ましたね!と言われた。

前輪そのものは問題なかったが、ハンドルを止めているものが、グラグラになっているとのことだった。

そのほかにも、僕の気づかないチェーンのズレや色んなものを整えてくれた。

僕は自転車ではないが、何か終わったあとには、自分がオステオパシーを受けたような気分になった。

この自転車の例にあるようなことが、人の体にも起こりうる。

一見、異常がないように運行していても、なんらかのズレや異常が起こっていることは、多くある。特に何か大きな衝撃や、体に対してインパクトある出来事(精神的なものも含めて)があった後などは、注意が必要だ。

自分では、大丈夫だと思っていても体は大丈夫でないことは多い。

早めの対処は常に悪いことではない。

今回の自転車の出来事、パンドルを緩ませた原因は、数日前にタイヤが滑って、ふんばったことだった。ハンドルが抜けて、自分が大怪我をするかもしれない状態だったようだ。

今日も見てくださり、ありがとうございます。いつも使う大切な道具と一緒で、体も大切な道具ともいえるなぁ。その心は、メンテナンスが大切。

                                              小林 克
          

2017年1月15日(日)


・しんしんと降る雪の中で

今日は、すごい雪だ。こんなにここって雪降るの?と今日は驚いた。

岩手県ですごしていたころがある。

その時を思い出すような積雪だった。

子供にとっては、初めてこんなに積もった雪を見ることになる。

朝起きて、すぐ、寒さも感じる間もなく、もう目を輝かせていた。

子供を見ていると学ぶことばかりだ。

なんでもないものに、喜びを見出す天才だと思う。

お手伝いも、お掃除も、かたづけも、本を読むこと、ビニール袋のフワフワした感じ、雨、雪

一瞬、一瞬が輝いて見えている。

きっとこれが本来の人のあり方なんだろうなぁ。

子供から大人になっていくと、だんだん現実に直面するようになる。何もかも楽しいとは、思えないことも多いだろう。

でも、この子供の時の感覚を大切に参考にし、その中でどれだけ、童心に近づけるか?というのは、もしかしたら、ものの本質なのかもしれない。

最近は、そういう雰囲気の本を良くみかけるようになったなぁ。

不完全な状況のなかで、いかにして幸福と平和をみつけれるかは、僕たちの大切なテーマなのかも。

いつも見ていただき、ありがとうございます。南にくだると晴れている。さっきまであんなに積もっていたのに。

                                              小林 克
          

2017年1月16日(月)


・憧れ

三浦知良は今も憧れの存在だ。

ずっとサッカーをやってきたこともあるけど、昔はただミーハー精神で憧れていただけな気がする。

むしろサッカーをやめてからの方が憧れになっているかもしれない。

うわーまだやってるよ、と。

彼が、決して栄光だけの人生を歩んできたわけではないことは、もう誰もが知っていることだ。

才能があったわけではない。

ただ諦めずにやりつづけてきた。その結果として、日本でだれもできなかったことを多くやってきた。最後の最後まで諦めず努力し続ける姿は目にやきついている。

そして、だれも経験できないくらい、大きな挫折も味わってきた。

昔は、そんながむしゃらな姿勢に勇気をもらったが、今はまた違うところが目につく。

年を重ねれば、重ねるほど謙虚に

また、よりサッカーを愛していっているその姿は、サッカー選手としてではなく、大人として同世代を引っ張っていっているのだろう。

「まだ夢の中なんだから。覚まさないでよ。」

今が夢の中なんだとどれくらいの人が言えるだろうな。

見方によっては、僕たちはみな夢の中を生きているとも言えるのかもしれない。

そう心から言えているカズに今は心を動かされている。

今日も見てくださり、ありがとうございます。年を重ねれば、重ねるほど素直に、謙虚に、純粋に。

                                              小林 克
          

2017年1月16日(月)


・憧れ

三浦知良は今も憧れの存在だ。

ずっとサッカーをやってきたこともあるけど、昔はただミーハー精神で憧れていただけな気がする。

むしろサッカーをやめてからの方が憧れになっているかもしれない。

うわーまだやってるよ、と。

彼が、決して栄光だけの人生を歩んできたわけではないことは、もう誰もが知っていることだ。

才能があったわけではない。

ただ諦めずにやりつづけてきた。その結果として、日本でだれもできなかったことを多くやってきた。最後の最後まで諦めず努力し続ける姿は目にやきついている。

そして、だれも経験できないくらい、大きな挫折も味わってきた。

昔は、そんながむしゃらな姿勢に勇気をもらったが、今はまた違うところが目につく。

年を重ねれば、重ねるほど謙虚に

また、よりサッカーを愛していっているその姿は、サッカー選手としてではなく、大人として同世代を引っ張っていっているのだろう。

「まだ夢の中なんだから。覚まさないでよ。」

今が夢の中なんだとどれくらいの人が言えるだろうな。

見方によっては、僕たちはみな夢の中を生きているとも言えるのかもしれない。

そう心から言えているカズに今は心を動かされている。

今日も見てくださり、ありがとうございます。年を重ねれば、重ねるほど素直に、謙虚に、純粋に。

                                              小林 克
          

2017年1月17日(火)


・メディアと健康の知識

今の多くの人にとって、テレビは知識の宝庫だ。

最近のテレビを見ていると本当によくできているというか、注意が行き届いているなぁと思う。

従来は、いろいろな学説とかを大きく見せて、あとでその学説が確定的なものではないことなどが、わかったりして、なんだやっぱりテレビは嘘を言うんだなとかそんな具合だったように思う。

もともと広告、宣伝としての役割なのだから、いかにして見てもらうかというのが番組の本来の目的だ。テレビがそのような振る舞いになるのは仕方がないことだと思う。

でも、今は情報のやり取りが本当に早くなった。こういったネットでみんなが自由に書き込め、情報を選択できるようになったし、ソーシャルメディアで、自分の興味のありそうな話にどんどんアクセスがしやすくなっている。

だからか、テレビの方もより洗練され、吟味して知識を提供しないと注目がひけない時代になった。

最近の健康系の番組では、医師が多くでている。自分たちで答えを探すのより、専門家を揃えたら、より真実味のある情報となるということだ。

これは良い傾向だと思う。

でも、それでも警笛を鳴らしたい。

質の良い情報が簡単に入り、昔よりも知識の共有という点では本当に早い時代になった。

でも、本当はもう一歩進む必要があると思うんだなぁ。

今ある知識も、真実味はおびているけど、真実ではないということ。全てに答えの出せる共通のものは、まだわかっていない。

だから、どういうことかって、知識に溺れず、それを建設的に参考にし、自分の経験や、それらをもとにもう一度かんがえるということしか、個別性ある本当のことには、近づかないかもしれないということ。

そこは、昔も今も、何も変わらない。

もしかしたら、多くの情報に溢れる今の方が、そういう行動をすることがしにくくなっているのかもしれない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。それでも、時代は進んでいる。それでも、向き合うのはいつだって、自分自身。
                                              小林 克
          

2017年1月18日(水)


・考えること。

オステオパシーと出会ってからだと思う。

自分で考えるようになったのは。

誰かが教えてくれない状況になってから、

初めて自分で考える道を歩むようになった。

まず、自分で考えること。文献は誰かが考えたこと。参考にしかならない。参考を絶対にしてはいけない。

そう、言い聞かせ、少しずつ自分が最大限、感覚的にも、経験的にも確実だと思う論理を自分の中にためた。

発想というのは、何もないところからは出てこない。自分の中にあるものの中から導き出されるものだ。

そうするとどうだろう。

一つか導き出されたら、次の可能性が浮上してくる。そして、それがまた導き出されたのなら、次の可能性へ。

そんなふうにして、考えることが止まなくなった。

意識的にストップしないと、僕は考えることをあまり苦に思わない。

今はメリハリをつけることが課題だ。

最近身にしみて思うようになってきたのは、

今やっていること。起こっていること。取り組んでいることは、自分に必要ことだということ。

当たり前だか、いつだってそれは複数ある。

その一つ一つを大切に味わっていきたい。

今日も見てくださり、ありがとうございます。寝ることも、食べることも、書くことも、働くことも、味わう。味わう。

                                              小林 克
          

2017年1月19日(木)


・癒すことと手放すこと

癒すことが必要な時がある。

それは、きっと疲れ切って、耐えきって、もう立ち上がりたくなくなった時だ。

そんな時は、誰かに支えてもらうこと。

やがて少し元気になってくると、自分の熱量で燃やされた燃え殻みたいなものが見えてくる。

もしかしたらそれは、自分を疲れさせていた原因かとしれない。

もしかしたら、それは誰かを責める思いであったり、不満であったり、怒りであったり、あるいは悲しみや悔いかも、しれない。

それは、誰かが捨ててはくれない。

捨てる手助けはできても。

捨て方は簡単だ。

手放すことを決めること。決めるというのは、言う、書く、思う、だ。どれでもいい。どれも、外の世界に向けて宣言することを意味している。

それが上手になってくると、手放すことが上手になってくる。

でも、無理はしないことだ。

癒すこと手放すこと。他人と私。

二つはセットにしてもいい。

今日も見てくださり、ありがとうございます。人はポケットの中に想いもなにもかもいっぱいに詰め込んで歩いている。でも、もう重くて耐えられないってなった時、意外と一番初めに捨てようとしてしまうのは、幸福であったりする。少し不幸な方がちょうどよく感じてしまうのだ。だから、手放すことは意識していないといけない。自分をちゃんと見てあげてないと、捨てちゃいけないものを捨ててしまう。そんな時は、早めに誰かにもたれたらいいよ。

                                              小林 克
          

2017年1月20日(金)


・幸福と成功について

幸福と成功の関係でTEDというものでのある発表を知った。

なにやら、「成功するから幸福になる」のではなく。「幸福でいるから成功する」のだ。

との、研究の報告であった。

今の現状、現実に安心し、充実し、面白みを感じていることは、当然ながら、作業効率を向上させ、新しい発想を喚起し、一つ一つのことを完遂していくことを容易にする。

しかし、幸福でいるというのは、意外と難しいことでもある。色々な不安、色々な想い、感情。そんな不完全な中で生きているのが、現実とも言えるからだ。

つまり、これには練習がいるのだろう。

幸福でいるということを要素として分けると、こうなると思う。

・幸福を味合うこと。
・幸福をみつけること。
・幸福を分かち合うこと。

これを意識し続けることができたのなら、すごい。だけど、さすがに難しいから、まずは、特にご褒美を自分に与えるという感じで、練習するのはどうだろう。

僕の例をあげるとこうだ。

まずご褒美(幸福)をみつける。コーヒーが飲みたいなと。そして、それを味わうことに集中する。(それで得られる幸福感を味わう)そして、それを味わっているとき、その感覚(幸福感)を最大に表現する。(幸福を分かち合う)たぶん、すごく美味そうにコーヒーを飲んでいることだろう。(笑).

ただ、これをやるだけだけど、これは、脳科学的にも良さそうだ。脳の中の情動における最終的な評価は、快、不快で判断されている。つまり、快の経路を強化することになるからだ。

幸福になる練習をしているともいえる。

もし、ストレスを感じる環境にいるのなら、なおさら意識的にした方がよい。

今日も見てくださり、ありがとうございます。注意してもらいたいのは、これは、コーヒーを飲むことの強化学習ではなく、そこから少し広げて、コーヒーという自分の嗜好品を介して、幸福を感じるという行動の強化学習を狙っている。

                                              小林 克
          

2017年1月21日(土)


・味わうことの光明

最近自分でも、意識的に行っていることがある。

味わうこと

ご飯を味わうというだけではなく、

特に、美味しさ、充実感、幸福感を意識して味わうことをしている。

ちょっとした実験でもある。

不安やストレス、社会において生きづらさに繋がることは多い。

そんな中僕たちの体はなんとかその環境に順応しようと努力をする。不快に思っていた感情も、あまり不快に感じないようにしていったり、そうすることで、その環境にいれるよう、学習を脳は進める。

脳からすると、その不快な環境はいつもの環境だ。だから、不快の中の快を感じるというおかしなことがおこり、僕たちの思考は、悪循環におちいることがある。

いつも、不安にかられたり、ネガティブな方向に思考がいきがちだったり、

そんな側面がある。

そういった悪循環を変えるにはどうしたらいいのかなぁとずっと考えていた。

一つ思いついたのが塗り替えることだ。

快の経験を多く積んで、いつも決まった経路をたどる神経回路を塗り替えるのだ。

ポイントは快である。快を感じるものは強化学習をしやすい。

神経のパターンを変える。快の強化学習を使って。

特にポジティブにできること、ワクワクすること、その後の気持ち良い感じをちゃんと味わうことで、やや大げさに快を感じて、再学習しようと。

そういう作戦だ(笑)

実際やってみると、色々とわかることがあった。

それは、また書くとして、

脳の機能は複雑だ。また、実験をするときには、環境条件を一定にする必要がある。だから、それぞれの環境条件に厳密にあったものを設定して行うことは困難である。

なんちゃって脳科学であることは否めないが何よりも自分で試して、自分によかったと感じるものは、明らかに自分にはいいと言える。

今日も見てくださり、ありがとうございます。味わおうとしないと、気づかないことは、こんなに多いのかと気づくようになった。これも、環境に適応していった証拠かもしれない。変化はチャレンジという作業を通してしか生まれない。

                                              小林 克
          

2017年1月22日(日)


・反対勢力は二度抵抗する。

新たな習慣を試したり、体の何かを改善しようと取り組んだり、何か変化させようとする時、

僕たちを引き戻そうという動きを経験する。

一つ目は、一番最初。

新しいものへの一歩を、踏み出す時。

それまでの日常を超えて行こうとする時、それまでの当たり前の日常の習慣が変えようとするは僕たちを抵抗する。

しかし、それを乗り越えるとどうか。

変化は、順調に進むだろう。ポジティブにやれているのならなおさらだ。

どんどん、新しいことをやっていけるかもしへない。

ここまできたらというところで、大体の場合は、ストップが入る。

やっぱりダメかと思ってしまうかもしれない。

でも、ここであきらめない方がいいんだ。

これは最後の抵抗。向きが完全に変わる前、最後の逆風。

逆風は、二度起こる。そこを乗り越えたら、体は、脳は、習慣を得ている。

今日も見てくださり、ありがとうございます。最初と最後の大波、乗り越えよう。

                                              小林 克
          

2017年1月23日(月)


・本の読み方

僕はあまりたくさんの本を読む方ではない。

読むのに非常に時間がかかるタイプだ。

流しては読めない。読むなら熟読。

特に気に入った本は、受験の国語の試験のように、書き込みながら読むため本はぐしゃぐしゃになってしまう。

読む時に気をつけているのは、著者を感じながら読むこと。意図を感じること。

自分の中で注意していることは、多くの本を書いている方は、まず晩年に書いたものから読むことにしている。

その人の探求の最後の結論が描かれるのは、やはり、晩年の作品だからだ。それから若い年代に帰っていくようにして読むと、論理に矛盾があっても逆算して考えることができる。

オステオパシーの訳本を読む時などは、注意がいる。オステオパシーのような専門書を翻訳するのは、極めて難しいことだからだ。

英語の理解だけでなく、専門用語、そして、何よりオステオパシーの哲学への理解が翻訳に必要になる。なかなか、わかりやすい訳本を作ることはできないものだ。

そういう時に、気をつけるのは、翻訳された文章であることを意識して読むことだ。つまり英語を想像しながら読む。そして、細かいところはあまり気にせず、自分の臨床経験や、オステオパシーの哲学から大切なことだけを拾うようにして読む。

これには、慣れが必要だ。

オステオパシーを学ぶ方たちには、屈せず頑張って欲しい。

今日も見てくださり、ありがとうございます。今日は寒かったね。今年の冬は例年より寒いかな?

                                              小林 克
          

2017年1月24日(火)


・白湯を飲む

今年の冬はよく大雪警報が出される。

例年よりも寒い冬。

朝わりとよく飲むのが白湯。

つまりは、お湯。

小さなやかんで、水を沸騰させる。すこし、普通と違うのは、

沸騰したあと、換気扇をつけて15分ほど弱火で空気を含ませること。

妻から習った方法だ。(アーユルヴェーダの方法)

これをするのと、しないとでは、

白湯の舌触りが全然変わってくる。

滑らかで、飲みやすい。

白湯を好んで朝飲むのは、暖かいことと、何も入っていないからだ。

胃に優しい水分補給とともに、エネルギーをもらってる気で飲んでいる。

冬になると乾燥がすすみます。水分を摂ることは、夏より意識しないと難しくなり、大切なことになる。

もし、良ければ試してみて^_^

一手間を加えることで、自分にとってそれはただのお湯ではなく、栄養ドリンクにでもなる。

今日も見てくださり、ありがとうございます。冬、白湯、お湯と韻を踏んでみたことに、気づいてくれたかな。

                                              小林 克
          

2017年1月25日(水)


・同じことを丁寧に繰り返す

朝スッと起きること。

気持ち良さを全身に堪能しながら体操すること。

作ってくれた妻や子供にありがとうといいながら、美味しいご飯を美味しく食べる。

自分のやるべき作業を充実感を感じながら行うこと。

施術は、自分の全てを尽くすこと。

充実感を感じること。

夜、今日一日を感謝し、すっと寝る。

最後は技術ではないと思うんです。病気ってなんなのか?人ってなんなのか?私ってなんなのか?治癒や治療ってなんなのか?

考えて、考えて、考えて

最後は、日々どう僕がいるかということだった。

医療の明日を作りたい。

日々を丁寧に繰り返す。日々を丁寧に積み立てる。

今日も見てくださり、ありがとうございます。背筋をピンと伸ばして、穏やかに。

                                              小林 克
          

2017年1月26日(木)


・瞑想の意味、無意味

日常的に瞑想をする方は少ないかもしれない。

最近はビジネスの世界でも注目されることがあった。

集中力を高めていくために取り入れられたり、色々な良い面がある。

いくつも瞑想のやり方は、あるんだけど、

一番簡単なのは、頭の中に浮かんできたものをどんどん手放していくやり方かな。

僕は宙に消えていくのをイメージしたりするけど、どんなイメージをするかは個々それぞれ。

手放しても手放してもどんどん浮かぶから、無我の境地とやらは、本当に境地だなとか思う。

そんなことをしながら、呼吸を聞いてみたり、自分を感じてみたり。目を開くとスッキリしている。

瞑想の一つの利点は、考えの整理だと思う。考えの整理といっても、これで考えがまとまるわけではない。でも、瞑想を通して余計なものを剥いでいく。僕たちが思考していく過程には、様々な感情や思いでや色々なものを想起しながら進む。

瞑想は、そういったものをそぎ落とし、一つのものに本当に集中させるのに秀でている。

バタバタしたあと、次に移るときや、自分を休ませるときに僕はしたりする。

ただ一つ注意しておいた方があるとしたら、

その先に何かを求めないこと。

瞑想は修行ではない。何者かになるためにする瞑想は、本質からどんどん外れていく。

今日一日を幸せに生きるために、上手に取り入れてみてほしい。

今日も見てくださり、ありがとうございます。僕は時間も決めないし、毎日もやらない。自分勝手に、したいときにそのときに合うようにします。

                                              小林 克
          

2017年1月27日(金)


・特技、質問

昔、履歴書の特技の欄に「質問」と書いたことがある。

今思うと、

なんと恥ずかしいことか(苦笑)

私、理解できませんと宣言しているか、屁理屈作れますと言っているようなものだ(苦笑)。

思い出すと、物理の時間でも、化学の時間でも、しつこく先生を追い回して、質問していた。

なぜそんなにわからなかったというと、どんなものにせよ、その現象を視覚化しようとするこだわりみたいなものがあったからだと思う。

ちゃんとイメージができないと気持ちが悪かったのだ。

その性格が今、オステオパシーの世界で役に立っている。

質問をするという、特技は、今は他人に質問を、するのではなくて、自分に質問をすることになっている。

自らに問いかけ、考え、問いかけ、考え。

自分で、自分の治療法やものの考えを深めることに役立っている。

色んなことを素直に聞くことに、自分の中であまり壁がなかったこともあって、初対面の人でもそんなに違和感なく話せた。

これは、今の職業につながっていると思う。

今思うとあの時は、自分を育てていたのだと気づく。

無駄なことなどなかったのだ。

今日という一日も、今日の中ででてくる悩みも、それはきっと必要な過程なのだろう。

今は思えなくても、いつかは思える時がくる。

今日も見てくださり、ありがとうございます。きっと今も特技は「質問」なのだと思う。結局。

                                              小林 克
          

2017年1月28日(土)


・自分を癒すこと

自分のことはわからないことが多い。

「自分のことは自分が一番わかっている。」

というのは、全くその通りなんだけど、他人の方がよく見てくれていることも、確かに、あることだ。

何かが起こった時、自分にもきっと何か起こっていると思って、少しだけ気持ちを与えてあげてほしい。

例えば、両親に何かあった時、

子供に何かあったとき、

友達に何かあった時、

あるいはペットに何かあったとき、

誰かを傷つけたときには、自分も傷ついている。

誰かを支えているときは、自分も支えが必要だ。

でも、そんなにコミュニケーション上手くいかないからこの世の中を生きるというのは、本当に難しい。

自分の事がよくわかっているのなら、その時にあったことを自分にしたらいいし、

だいたいの人は(自分も含めて)、自分のことはぼやっとしかわからないと思う。

そんな時は体を伸ばすといい。

適当なストレッチをしてみる。

体の突っ張りは心の突っ張りだ。

よう頑張ったねと伸ばしてみる。気持ちよく。本当はそんなに焦りたくもなかったし、きついことも言いたくなかったし、悪いことだってしたかったわけじゃない。そんな本当の自分の気持ちに気づくと大きな呼吸が自分の中に入ってきて、気づいてみると張りはなくなっている。

そう思って、丁寧にことある度に観察してみると、心と体は密接につながっていることを体感できると思う。

今日も見てくださり、ありがとうございます。柔らかかったらいいというわけでもないし、硬いからダメだということでもないんです。開脚ができたって、硬いところはあるし、硬いと思われるひとも、全てが硬いわけではないんです。自分にしか取り組めないものは、みんなそれぞれ。

                                              小林 克
          

2017年1月29日(日)


・背中をさすること

なんで背中だったんだろうか?

人の内臓機能や身体調整機能を果たす交感神経幹は背骨の付近にずっと連なっている。

人間は、内臓は体の前に着き、手足はそれを守ることがてきるようになっている。背中には、体をコントロールする「神経」があり、保護されている。

さすること。

さすると、感覚神経が促され痛みに関わる神経が抑制される。

不調のあるとき、背中をさすってもらう。

背中をさすってもらうことは、誰しも心地いいものだ。

背骨の付近にある交感神経幹の頂上は、記憶や情緒とつながる。

心地いいのは、両親にさすってもらった時を思い出すから。

大事なものを自分だけで守るのなら、手は360度回っていいはず。

不調があるとき、弱ったとき、誰かの手が必要なように、人はなっている。

誰かにさすってもらい、

助けてもらい、

そして自分の足で立つ。

背中には自分で触れない。でも、大切なものはそこにある。

人は、大切なものを共有し、絆を深め、支え合うように、初めからできているのかもしれない。

今日も見てくださり、ありがとうございます。大切なものは肌で覚えている。

                                              小林 克
          

2017年1月30日(月)


・根源的な問いかけ

オステオパシーの中でも、ややエナジティックに人の体を診てきた。

本質を知れば知るほど、

目に見えない領域も含めて考えなければ、辻褄が合わないことがでてくる。

人を平均値だけで考えず、すべての症状や状態に共通するものは何なのかをずっと考えてきた。

人の病には、単に体の問題とだけでは言い切れないところがある。

感情的な体験からくる歪みや、そこから生み出された人生の信念と言えるものが体のより大きな歪みと関わっているケースは少なくはない。

僕は手技によって、そのような側面に対しても、お体の面からサポートをしている。

もしも、そのようなものを自己にて捉え、自己としても改善していきたいと望むのなら、そのヒントは根源的な問いかけの中にあるかもしれない。

自分とは何者なのか?

この問いかけは、逆説的に言えばこうもなるかもしれない。

自分の存在がもしなくなったら、世界は何が変わるのだろうか?

問いかけが、自分の本質に近ければ、近いほど。

僕たちは本当の存在を感じることができる。

そして、それは今の自分の気持ちを知ることでもあり、誰かから見た自分を知ることでもあり、それは同時に治癒に向かう流れに自分を戻しているのと同じことになる。

自分は何だったんだろうか?

答えなどない。

でも、その先には、きっと今よりも強く柔軟に、生きている自分がいるかもしれない。

今日も見てくださり、ありがとうございます。恐怖心にかられず、フラットにそういうことも考えられたら。
                                              小林 克
          

2017年1月31日(火)


・習慣を大切にすること

今日一つ大切なことに気づいた。

探求、研究というのは、継続的なものだ。

終わりはいつかはあるのだろうけど、それは果てしなく遠い。

だから、次の発想や可能性が生まれれば、また新たな疑問と課題が生まれ、また新しい発想や可能性を求めていく。

朝、いい発想が浮かんだ。

そうなると僕の心は高鳴るわけで、次々に次の言葉、次の考えが浮かんでくる。

その考えを取りこぼさないように、書き込んでいくんだけど、一度火がつくと解決したくなって、ついつい時間に関係なく追ってしまう。

すると、いつもしていること、あるいはしようと思っていたことも、ほっといてそちらに耳を傾けてしまうんだ。

でも、結局それはうまくいかない。

習慣をほっといて、やらないままにしておくと、結局やらなかったことで、二手、三手と遅れていくことになるんだ。

だんだんイライラしてきてしまって、結局追わずにパッと切り替えて考えるべき時間にだけ、考えるほうがスムーズに進むということ。

きっと、神様もそこまで望んでないんだろう。まず自分があって、その次に誰かの役に立てばいい。

何かに固執し、追ってしまっている時、その背景には、必ず不安や恐怖が存在する。

何かを失ってしまうかもしれない。何かに追いつかないかもしれない。

そんな自分を引っ張るのは、たいてい過去の自分だ。

僕たちは色々な場面でかなり頻回に、過去の出来事、過去の自分を想起しながら生きている。

だから、物事を進めるときは、区切りを決めて、切り替える。そうしたほうが、逆にリズムがつき、結局早かったりする。ダッシュと休憩を繰り返すより、一定のペースを保つ方が結局長く速いように。

今日も見てくださり、ありがとうございます。きっと目の前に大好物がでてきたんだな。普通に走ったってたどり着くのに、ついつい急いて、息切れしたんだろう(笑)あるよね。

                                              小林 克