コバヤシがほぼ毎日書くエッセイのようなもの
2018年1月1日(月)
・
始まりの年
いつも当院をご利用いただきありがとうございます。
明けましておめでとうございます。
今年もはじまりました。
昨年はどんな一年だったでしょうか?
2016年の11月から始めたこのブログも、なんとか今までつづき、昨年は、ブログと共に生きる一年となりました(笑)
毎日書くということはとても刺激的で、
毎日の心の変化がそこに浮かび上がります。
そんな中気づいたこと、学んだこと、いただいたことは毎度違い、それが形となっていったような気がしています。
どうぞ本年ももしよければ、見てやって下さい。
今日も見てくださり、ありがとうございます。さぁ始まるぞー!
小林克
2018年1月2日(火)
・
思考を休める
考えることを休めるとは、
考えないようにすることではない。
別のことを取り組むということ。
仕事も子育ても、日々の雑用もすべて遊びであり、仕事だ。
お正月にある一つ一つの祝い事も
真剣に、楽しく、取り組みたい。
そうすることが仕事の頭を休めることであり、
次のアイデアのための準備期間になる。
今日も見てくださり、ありがとうございます。チャンネルは変わっても、ストップすることはない。それが脳だ。
小林克
2018年1月3日(水)
・
どうせやるのなら…
どうせやるのなら、楽しむことにしている。
嫌なこと、苦手なこと、緊張すること。
仕事以外でもたくさんでてくる、自分を成長させる糧。
そんな時は内心ドキドキしてるものの、
どうせやるのなら…
どうなったって楽しんでやらなきゃ損だろう。
と思う。損とは?
生きる時間の損だ。
唯一僕たちに限られているのだとしたら、それは
時間だ。
明日何が起こるかなんてわからない。
だからこそ、今日の1分をないがしろにする生き方は避けたい。
いやいややる時間があるなら、楽しんでやれだ。
そのうち嫌だった理由なんて忘れている。
今日も見てくださり、ありがとうございます。やってやろう!
小林克
2018年1月4日(木)
・
仕事始め
だいたい今日が多くの方の仕事はじめではないか?
正月で集中した頭を
仕事に切り替える。
きっと最初はおぼつかない。
切り替える力はあるのだけれど、人は機械じゃない。パッとは切り替えられないのです。
だけども、機械でないからこそ不思議なことが起こる。
徐々に切り替わっていくうちに実感するだろう。
自分が成長していることに。
感覚はより鋭くなり、考えはより広くなり、感性はより豊かになっている。
正月に集中した頭は、たしかに成長していたのだ。
それは仕事をする自分の成長でもある。
今日も見てくださり、ありがとうございます。
どんな時も成長できる。どんな時も成長している。
小林克
2018年1月5日(金)
・
年をとるほど、輝いて。
どんな困難にも屈せず、自分の道を進んでいる人は魅力的だ。
年をとるほどに、人は少しずつ機能を失っていくかもしれない。
でも、そんな喪失の経験の中、
絶えず自分を燃焼させ続けている人がいたのだとしたら、
それがどんなに小さなことであっても、その人は魅力的だ。
あきらめず生きている。
年をとっても、希望を持ち先端に立つ。
いや年をとればとるほど、その立ち振る舞いは洗練され、輝いて見える。
背中が示してくれる。
生き方が示してくれる。
そうやって生きている人を今日見た。
生き様が何よりの教科書。
一日一日の行動こそが、後世を育てる。
今日も見てくださり、ありがとうございます。目標は100歳。
小林克
2018年1月6日(土)
・
お正月後の体
お正月はどういうふうに過ごしたでしょうか?
きっと多くの人がいつもより少し食が進んだかもしれない。(笑)
そんな日が二日、三日と続いたかもしれない。(笑)
そんな楽しい正月後のからだはどうなってるだろうか?
もしかしたら、胃はいつもよりも大きくなっているかもしれない。
お酒をたくさん飲んだなら、皮膚は少し乾燥しているかも。
膨れた胃はその奥にある太陽神経叢を圧迫する。
それは自律神経のもうひとつの中枢でもある。
まず、しっかり水分をとりましょう。
からだは変に腫れぼったく、でも乾いているかも。
しっかりと必要なところに循環をもたらす元をとること。
ゆっくり体を伸ばして、少しずつ早く起きるよう心がけるといい。
ちゃんと目が覚めるというのは、自律神経のリズムをつくる第一歩だ。
それが生活と体を整えていく第一歩となる。
さらっと起きれた時は作業を進むのが早い。
体がよく動く。そんな自分の変化に着目することができていれば、きっとその大切がわかってくる。
今日も見てくださり、ありがとうございます。正月ボケというのは、体そのものの変化だ。
小林克
2018年1月7日(日)
・
価値があるのは行動
なんたら理論。
こうしたらいい、こうする方がいい。
体のことを考えたらこっちのがいい。
理論、理屈、考え、なんたら法。
世にたくさん出回っている。
その全てがあるひとつの概念が欠けている。
それは当の本人がどう取り組んでいるかということ。
目先のことに注目が行きがちだ。
でもそれでは本当の原因と結果を見極めることはできない。
どうというのは、心の状態のことをいう。
目に見えない部分。
その心が純粋であるか、利己的か、何を思ってなんの目的で、どんな意志をもって行っているかで結果に大きな影響を与えていることを知らない。
自分が何をしているのか?自分はどんな存在なのか?
にまで思い至ることは、ほとんどの場合ごく少数の人しかしないことなのだろう。
なんたら理論ではなく、自分がどう、どんな気持ちで行うか?
今日も見てくださり、ありがとうございます。だから結果が人によって別れるのです。
小林克
2018年1月8日(月)
・
男と女
女性と男性はやはり違う生き物だ。
女性は並列処理、男性は直列処理とよく言う。
男性は目的を持ちそれに向けての行動を考えるのは得意だが、同時並行で考えるのは苦手。
女性は長期的なビジョンを立てて動くのは苦手だけど、家事などで代表されるように、仕事などでも、いくつもの作業を効率よく行うことができる。
男性は夢想的で、女性は現実的。
と二つに分ければそんな感じになってしまっているが、よくよく考えるとこの男性と女性の二つの要素によって、埋めなければいけない全ての要素がうまく絶妙に埋められている。
この二つの要素はなくてなならないものなのだ。
だからこそ、互いに理解し合うことが大切になると思う。
その時、二つは違う考え方で、違う物差しで、違う脳であるということを頭に入れておいた方がいい。
どちらにしろ男性も、女性も好きなことがある。
それはちゃんと話しを聞いてもらうことが好きであるということ。
まず相手の話を聞く。そして、男性はあまりいいすぎない。(頭の構造上くどくなるため)
これがおそらく調和の第一歩…かも。
今日も見てくださり、ありがとうございます。永遠のテーマだよね(笑)でも、結論はきっと単純なことなのだろうと思っている。
小林克
2018年1月9日(火)
・
食事
食事に関しては僕もまだまだどうすべきか結論はついていない。特に今は子育てもあって、どのような指針でやっていくかを迷うことも多い。
だけど、今までの試行錯誤の結果、
食事も、何を食べるのかということよりも、
どのように(どのような気持ちで、も含む)食べるのかというのはとりわけ大切なのではないかと思っている。
食事にたいしての感謝。
生産者、作ってくれた人への感謝。
そういったもので、私たちの食事の基本的な作法が決まっている。
形式というのは、そういった気持ちを表す方法でもある。
でも、気持ちの方が大切。
心を整えていただきたい。
そういった自分のスタンスが子供に伝搬しているのを実感する。
今日もみてくださり、ありがとうございます。美味しくいただくというのは、美しく味わうということでもあるのかな。
小林克
2018年1月10日(水)
・
朝起きること。
寒い季節だ。
このところ、より冬らしい気温になってきた。
朝目が覚めても、布団から起きれないことが多くなってくる。
もうちょっと、もうちょっと、もうちょっと…。
ふぅっと頭をからっぽにする。
すると、自然とわくわくする未来が頭に浮かんでくる。
なんてことのない未来だ。
新しい仕事がやってくること。子供が朝起きてか着替えて、ご飯食べる前にどんな遊びをしようか?
その時の子供の顔。朝ごはん作っている妻の横顔。
なんでもないような未来が自分にとっては、最高の未来で、何の地位も名誉もそこにはないことに気づく。
仕事の発展は、自分自身の責任を果たすためと、そこに自分が自信を持って、過ごすためのものだ。
そんなことをふっと気づくと、すでに布団から出ていた。
大切なものの大切さをちゃんとギュッと握りしめ、その幸せを両手いっぱい感じたい。
そんな冬の朝。
今日もみてくださり、ありがとうございます。幸せに感じるのはいつだって日常。
小林克
2018年1月11日(木)
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ともに語らい。
有難い先輩達がいる。有難い友人がいる。有難い後輩がいる。
学生時代でも、
仕事でも、
ともに語った記憶は今も真新しい。
時期時期に色んなことに悩んできた。
話しながらだんだんケンカっぽくなったりすることもある。
特に臨床の話になってしまうと、熱くなってしまう。
そうやって、語り合うこと。
その時はもしかしたら、何の生産もしないかもしれない。
でも、そんな語らいはジワジワと僕を推し進めてくれている。
小さな情報が明日への参考にジワジワとなってきたり、
思い返したりすると、とても懐かしく感じたり。
語らいはそんな僕の人生の財産だ。
今日もみてくださり、ありがとうございます。若干記憶がうつろなこともあるのだけど。
小林克
2018年1月12日(金)
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睡眠
どういう時間を過ごしたか?
どういうふうに時間を使っていきたいか?は僕たちに与えられたれた幸せな権利だ。
そんな自由は昔はなかった。
でも自由だからこそ、自由に生きていいからことそ、より自分を見つめる力が必要になってくる。
自分は何がしたいか?どう時間を使いたいか?
どうありたいか?
自分のありたい姿が、自分のどうするかを決め、自分のどうするかが、日々の生活を作っていく。
日々の生活が自分を作っていく。
そんな循環が巡り始めれば、起きている時間は最高の時間だ。
常に成長し、常にチャレンジし、常に変わり続ける。
寝ている間なんかない、かもしれない。
それくらい充実していこう。
今日もみてくださり、ありがとうございます。多くの人のおかげで、今の一瞬、一瞬がある。
小林克
2018年1月13日(土)
・
美しい
美しいという言葉は不思議なものだなぁと思う。
美しい人、
美しい風景、
どちらもよく使うかもしれないけど、形も姿も全く違う。
「美しい」とは状態のことだ。
その風景はたまたまかもしれない、いや決して偶然ではない、あまりにも長い時間をかけて作り上げられてきた、整然と整った、なにかエネルギッシュな状態なのだろう。
頭で考えると美しいは、色々に変わる。
例えば、誰かが美しいといったものを見ていると、それを自分も美しいと感じているわけでもないのに、これは美しいものなんだと思うことがある。
つまり知識で美しいとしているのだ。
それが美しいかどうかなんて、人それぞれが何を感じるかによって違うのに。
だから、同じ人でも違った美しさが輝き、何通りもの感動がある。
それは心で美しさをみているからだ。
整っているからか?いやそれだけではない。何か苦境の中、それに抗おうとしている姿。何かに必死に折り合いをつけようとしている心。何ごともない日常。愛でる心。
様々な要所、要所でその美しさは輝く。
美しさは心でみよう。
自分の心は信じていい。
今日もみてくださり、ありがとうございます。孤独だって、団欒だって、思えば美しい。
小林克
2018年1月14日(日)
・
雪は暖かい
今日は雪が降った。受験生は本当に大変かもしれない。がんばれ!
今シーズン初めて少し積もった雪を見て改めて実感した。
雪は暖かいんだ。
風の寒さは芯に来る。
雪はむしろふわっとした、柔らかい寒さ。
小中時代には雪国に住んでいた。
雪もたくさん積もったが、
寒さ厳しい感じたことはなかった。
きっとそれは雪が包んでくれていたんだな。
そんな懐かしい空気を少し味わえる場所に来て、
また再体験する。
懐かしい思いに浸った。
やっぱり雪は暖かった。
今日も見てくださり、ありがとうございます。きっと、環境は僕たちを厳しくも暖かく見守ってくれているんだと思う。
小林克
2018年1月15日(月)
・
言語化の発達
僕たちが子供のころより、
今の子供たちは言語化することが、明らかに得意だ。
それはネットなどのコミュニケーション環境が変わってきたということが大きい。
雰囲気ではなく、言葉で表現しなければならない機会が増えた。
だからこそよく内観せざるをえなくなってきた。
自分の感情、相手の感情。
でも、逆にその言語化能力に翻弄されているように見える。
言語化するには識別しないといけない。
自分の感情や思いを識別するには、その基準となるなんとなくの感覚がいる。
このなんとなくの感覚が子供はまだ不十分のため、どうしても悲観的な解釈となってしまうのが、今出てきている、色々な問題の本質なような気がしている。
もはや、20年前と比べたなら別次元のような話だ。
当然理解できない。大人は。そういうものなんだ。
でもやらなきゃならないことは本当に単純なこと。
自分がしてもらってきたように、真剣に話を聞くこと。
そういった当たり前だと思ってたことを当たり前にちゃんと繋げまで行くことで、その時代、その時代にあったように、進んでいくのだから。
今日も見てくださり、ありがとうございます。時代は進む。より繋がるために。より安心するために。そして、手触りのある触れ合いに戻っていく。
小林克
2018年1月16日(火)
・
余裕
余裕というのは何においても大切なことだ。
講義にしても、初めて行う人と、
それを何度も行なっている人では余裕が違う。
この時の余裕というのは、積み重ねた対応力、枝葉の知識、自信など、時間を負わねば確率し得ないものばかりだ。
今月より当院は診療の時間が変わっている。
そうすることで、僕自身にだいぶ余裕ができた。
僕が余裕があることで、家族も余裕ができる。
この余裕というのも、やはり積み重ねなのだと思った。
例えば、一年前この余裕ができていたらどうなっていただろうか?
もしかしたら、逆に変な焦りがでてきたり、それが原因で、自らその余裕を奪ってしまっていたかもしれない。
余裕がない時や、色々な山を乗り越えてきたからこそ、今与えられた時間的な余裕がありがたく感じられるし、それを初めて有効に使えるのだ。
だからこそ、その余裕というのは、隙間のことではない。積み重ねたからこそできた、さらに積み重ねることのできる間のことなのだ。
講義でも余裕というのは、自分で表現するだけではなく、相手を見て、相手に合わせて表現できる間を指す。それは、積み重ねてきた結果、次はそういう相手との相互作用で高めていくような場作りにチャレンジできるまでのところに来たということだ。
だからこそ、余裕というのは、相手が見るものであって、自分はあまり感じてないのかもしれない。
今日も見てくださり、ありがとうございます。新たなチャレンジに怖さも、ワクワクも感じながら進んでいく。そうやって、世界に溶け込んでいく。
小林克
2018年1月17日(水)
・
気づき
はっと気づく。
ずっと考えてきたことが、ずっと考えてきた関係のなかったことが、
まるで一つのピースをはめたなら一気に色んな形が見えてくるような、
オセロの一つのところで、縦も横も斜めもひっくり返ってしまうような、
そんな繋がっていく感覚。
その力強い学びも一過程でしかないかもしれないが、
そんな時は幸せなものだ。
物事は繋がっていて、自分たちが一見関係ないと思っている事象もすべて法則性がある。
今日もみてくださり、ありがとうございます。そして、今からがまた新たなスタートになる。
小林克
2018年1月18日(木)
・
夢を語る。
夢を語ろう。
初めて夢を語ったなら、また夢を語る機会が舞い降りた。
また夢を語ったなら、今度は同じ夢を持つ人と出会った。
言葉にすることは、描いたことを現実にする最初のスタート。
夢を語ろう。
怖くて、恥ずかしくて、夢なんて語れない。ジッと自分の中に持つ。それもいいかもしれない。でも、そうやって実現できるのは、多分そうやって実現できるくらいの大きさのものかもしれない。
どうやったらいいかなんて到底わからない。そんな大きな夢を持ってしまったのなら、
とりあえず言ってみよう。
やり方なんてわからない。自分程度にはわからない。そりゃあそうだ。
出すから入る。
話すから答えが返ってくる。
どんか道筋通るかなんてわからない。素直にやってみよう。
今日もみてくださり、ありがとうございます。希望を掲げる。掲げるとはまず言葉から。
小林克
2018年1月19日(金)
・
見えない世界
見えない世界があるのかないのか?
科学者は見えない世界は見えると思っている。
それは小さなものの世界なのだ。
と、信じてしまっている。
例え、見えたとしてもそれはその一部かもしれないという可能性に目が行かない。
それは、自分は全て知ることができる、自分より優秀な人間はいないという欲にかられてしまうから。
でも、真理を追求しようとすれば、するほどそんな自分自身と向き合うことになる。
それこそが見えない世界が含まれている証拠なのだ。
その世界の特徴の一つは対極の世界。押せば押されて、引けば引かれる。
だから、考えを変えなければいけない。自分自身が。変えれるのは自分自身だけ。知れるのは自分自身だけ。
二つが溶け合って初めて発展していく。
因果の関係を適切に見ないとわからない。それが見えない世界。わがままな心理状態では見ることができない。
今日もみてくださり、ありがとうございます。だから主張をやめて自分が変わろう。
小林克
2018年1月20日(土)
・
のんびり
のんびり過ごす。
昼寝とかしたり、ゆっくりしたり。
おんなじのんびり過ごすでも、独身の時と、結婚の時と、子供ができてからは全然違う。
独身の時はのんびり過ごすは、停滞した時間だった。
結婚してからは2人の時間。子供ができてからは、みんなの時間になった。
昼寝していたって、1人で寝るのと、みんなで寝るのは全然違う。
時間を共有するというのは、のんびりしようが、せわしくしようが、自分の人生に刻まれるような体験なんだ。
ぬくもりが交差する。
隙間なく詰まった時間を楽しく進もう。
今日もみてくださり、ありがとうございます。随分と休めた。それは時間じゃない。
小林克
2018年1月21日(日)
・
信号を守る
信号が赤なら止まる。青なら進む。
これは常識だ。
いつから、信号は青なら進む。
赤なら気をつけて進む、に変わったのか…
思えば大阪に来てからだった…
いやいや地域のせいにしてはいけない。
自分でそう選択してきたのだ。
しかし、そうやって、交通ルールを破ってまで進もうとすることに、実は自分の穏やかな気持ちを失っているのではないかと思うようになった。
自分が、自分のズボラさを横に置いて急ぐことで、逆に大きなものを失っているのではないか?
子供には赤で止まれ、横道で止まれと教えるのに、子供と一緒にいなければ自分はどうか?
全く建前大人になってしまっている。
思春期のころ、そういう大人が一番嫌いだった。
何かをうまくやろうと嘘をつく。
子供から培ってきた、純粋な心を失ってしまっていたようだ。
今日もみてくださり、ありがとうございます。何か起こる前に気づいてよかったと思う。そうし出すと自然と逆算して動くことができるようになってきた。
小林克
2018年1月22日(月)
・
世界は上の方で回っている
これは自分の師の言葉だ。
その当時自分はそれはお金の話だと思っていた。
お金は上の方で回っている。川が上流から下流にしか流れないように、上から下に流れていくのだ。
しかし、それはどうやら僕の勘違いだったようだ。
日本の社会の先駆者達のお話を聞く機会が増えてきた。
彼らの生きる世界は本当にすごい。
自分には想像もつかないような責任の中、本当に高度に自己を自律し、
日本のため、後世のため、高い希望を持ち続け、まだ誰もしたことがないことに挑戦し続ける姿があった。
その通りだ。
世界は上の方で回っていた。
そんなトップリーダー達の高い意識に引っ張られながら、世界は進んでいたのだ。
本当に長くの間歴史を作るような企業のリーダー達は皆そんな人徳者だった。
ひがみ、歪みを捨て、自分と向き合おう。そうしてる間も彼らは走り抜けている。
今日も見てくださり、ありがとうございます。何歳になっても終わりなきチャレンジ。
小林克
2018年1月23日(火)
・
最強低気圧
さすが最強低気圧というだけあって、なかなかの寒さだ。
特に午後から急に寒くなったこの変化は、多くの方の血圧の調整を目の当たりにし、
一時的な体調不良となった人も多かった。
何年来の…
ここ近年何回その何十年来の…という言葉を聞いただろうか?
それだけ、これまでが落ち着いていたのだ。
まずそのことに感謝したい。
そして、これからくる変化の時代に、更なる建設的な変化を重ねれるよう尽力しよう。
ピンチはチャンス。
変化は成長。
今日も見てくださり、ありがとうございます。気づきとともに走りだそう。
小林克
2018年1月24日(水)
・
一つ一つを重ねる
不器用な人間だから
そんなに多くのことをうまくなんかできない。
今日の一瞬、一瞬は、いろんなバランスの結果でてきた今日の答えだ。下手なりにそのバランスをとるわけだ。
苦手なこともある。心が尖ることだってある。
そんな時は、バランスを取ろうとしたっていい。でも無理くりはダメだ。無理に相手に合わせなくていい。
時間がかかることだってある。理由なく自分がその考えに行きついたわけではないのと同じように、相手もまた理由なくその言葉を発しているわけではない。それぞれの立場があって、そのバランスの中で話しが行き交っただけのこと。遅くたって、速くたってどっちだっていいんだ。ただ、意識を少しずつ深める努力を一歩ずつしているかどうか。
素直になりきれない自分が一歩ずつ素直になれたら、遅いも速いも関係ない。それが一番いい結論で、一番いい道。
心配しなくていい。その道は果てしなく遠くもあるし、すでに目の前にもある。一度気づいて終わりではないし、長い人生の中一つ一つ積み重ねていく。
きみも僕も不器用だし、十分器用なのだから。
今日も見てくださり、ありがとうございます。一つ一つが意味がある。一つ一つに意味を作っていく。
小林克
2018年1月25日(木)
・
全て必然
今日は大雪だ。
バスに乗ったものの大渋滞。
さあ今日の診療はどうなる⁈
天候もすべて必然。
意味があって今日という日に大雪がきてるのだとしたら、その意味は到底わかるわけではないのだけど、感謝して対応しよう。
少なくとも雪っていうのは、僕にっとっては懐かしい原体験。少年時代を過ごした岩手県の風景を思い出す。
やっぱり空気は澄んでいる。
そんなふうに捉えている間違った判断がしにくい。いつだって正しい判断はフラットな姿勢から生まれている。
今日もまたチャレンジだ。
今日も見てくださり、ありがとうございます。さあ、もうすぐ着きそうだ。
小林克
2018年1月26日(金)
・
悔しくてたまらない
悔しくてたまらない。そんなことがないだろうか?
理由はわからないのだ。
なぜ悔しいのか?
別に取り立てて派手にけなされたわけでも、何かされたわけでもない。
普通のことなのに。
なぜだかひっかかること。
なんで俺だけが?みたいな、そんな想念が頭の中を埋まってしまう。
何かどうでも良いようなそんな自暴自棄になってしまうことだってあるだろう。
簡単な結論がある。
それは少し疲れているということ。
疲れるということは簡単に言えば、睡眠が必要ということだ。
脳は休憩がいる。もちろん、寝るのがすべてにおいて大切というわけではないが、少なくとも一時的に考える幅を失わせる。
そんな時は目をつむってしまおう。もちろん、そんなことも必要ないくらい活動的な自分を鍛えていくことは大切なことだ。でも、それはゆっくりとしか成長しない。
そうやって少し休憩いれながらやり続ける。だからぼくたちは、ある時急に成長できるんだ。
悔しくたらまなくていい。とりあえず寝よう。そうするとその思考から離れ、少なくとも次の考察へ移れるものだ。
今日も見てくださり、ありがとうございます。これも積み重ねの一つだ。
小林克
2018年1月27日(土)
・
他人に優しくしたいのなら、自分にも優しく
他人に優しくしたいのなら、
自分にも優しくするのが本当の道だと思う。
多くの場合、自分には厳しい人が多いかもしれない。
だけど、自分の時間を輝かせようとすることは、決して自分に甘える時間にはならない。
溢れてくるのは感謝ばかりだ。
家族への、両親への、勤め先への、自分と関わってくれているひとたちへの感謝が溢れてくる。
自分なんかが…
そう思っているのは、普通かもしれない。
だからこそ成長したい。
成長とは意識の変化。
意識は、現実そのものであり、現実は意識はそのものだ。
だから、今の自分にはないことに行動してみよう。
現実へのチャレンジが、自分の意識を変え、それが成長につながっていく。
今日もみてくださり、ありがとうございます。1人の時間は、誰かと繋がっているからこそ輝く。誰とも繋がってなければただの孤独な時間だ。
だからこそ、感謝を噛みしめることになる。
小林克
2018年1月28日(日)
・
できっこないをやらなくちゃ
本当になにもできないのか?
本当になにもできないのか?
せっかくこの世界に生まれたのに。
よくよく考えたらできることがでてくるかもしれないのに。
本当になにもできないのか?
嘘言ったっていい。言い訳いったっていい。でも足だけは出しとけ。一歩だけは踏み込んどけ。
ピンチが本当にチャンスかなんかはわからない。そりゃそうだ。でも、今できることは確かにあるんだし、
言い訳なんていい尽くしたし、
世話んなってばっかだし、
もうやるだけなんだよ。
せっかく生きるんだったら、できっこないをやらなくちゃ。
誰もやってないこと。誰もやったことがないことにチャレンジしないと、おもしろくない。前例あったろおもしろくなんてないだろう。
できっこないをやらなくちゃ。
あきらめないで、どんな時も。
今日もみてくださり、ありがとうございます。人それぞれでいいんだよ。人それぞれのできっこないをやらなくちゃ。
小林克
2018年1月29日(月)
・
転んだって
歩いて転んで、
走って転んで、
大泣きして、抱きしめてもらって、痛いの、痛いの、飛んでけ〜って。
それで泣き止む。
そんなのだったのに、もうしっかり自分で立つんだね。
自分で立って、前を向いて、また走り出すんだ。
僕と顔があったらさ、
笑顔でにっこり笑うんだよ。
いつのまにか強くなったんだね。
そんなことがただ、ただ嬉しい。
冬の日のマラソン大会。
今日もみてくださり、ありがとうございます。こんな気持ちが味わえるなんて本当幸せなことだやぁ。
小林克
2018年1月30日(火)
・
情けない
人の頑張りなんて、
自分が思ってるほど、知られてないし、
自分の頑張りなんて、だれも認めていやしないだろう。
そう思うのは、自分がそう思ってるからだということは、
書いてみたらすぐ気付く。
自分が意識の中でまず、他人の頑張りに気づかず、感謝せず、自分を認めてくれ、自分だけを認めてくれと、言っているのがすぐ見えるからだ。
他人の頑張りに自分がまず気づかないのなら、当然その逆は起こりえない。
意識のあり方が違うからだ。
他人の大切さに気付く人はそもそも認めてくれと思わない。自分を見ている位置が違うからだ。
もし、だれかに自分が感謝されたなら、逆に感謝するだろう。
周りを支える人というのは、そういう人なのだ。
ああ、情けない…
その言葉が、本質的に他人に向くのか、自分に向くのか…で、次の行動は変わってくる。
結局は心が表面化しただけの世界。
端々にそのサインはでている。
意識は簡単には変わらない。
時間、物、人をどう扱うか?できることからやっていけばいい。できたら、また次。できたら、また次。毎日変わろう。
今日もみてくださり、ありがとうございます。そしたら、きっと知らないまに変わっている。
小林克
2018年1月31日(水)
・
切りかえる
切りかえる。
ぱっと切りかえる。
難しいよね。いつまでもグダグダ考えちゃうよね。
でも、そっちの方が物事に悪い影響及ぼすから。
だから、パッと切りかえる。切り替えた。
100歳を越えた方が長生きの秘訣をこう言っていた。
「気にせんことや。」
「気」にすることは、そこにアプローチしていること。
「気」にしないことは、そこへのアプローチを切ること。
最初はだれだってできない。繰り返すうちに慣れてくる。
諦めとは違う。
「気にしない」
今日もみてくださり、ありがとうございます。忘れるのとも少し違う。気にしない。そのうち気にならなくなる。
小林克