コバヤシがほぼ毎日書くエッセイのようなもの
2017年12月2日(土)
・はい喜んで
頼まれごとをした時、素直にはい!ということはできても、
喜んでやるのはさらに難しい。
はいと言ったものの、自分の中に不平、不満が湧き出てくる。
不平、不満というのは、
ある部分で自分を傷つけているようなものだ。
やりたくもないことをやらされていると思うのなら、それはストレスそのものだろう。
じゃあ受けなきゃいいというかもしれないが、人間はそううまくはできていない。
受けないということも、また不満でもあるのだ。
だから受けないということもまたストレスなのである。
だから本当の意味でのストレスフリーの方法は一つしかない。
受けて、不満を手放しながら、素直に行動する。
みせかけのストレスフリーは、ただ不安を閉じ込めているだけになってしまうこともある。
成長するための建設的な考えから、どうすれば良いか考える。
すると自ずと見えてくるものは必ずあるはずだ。
今日もみてくださり、ありがとうございます。喜んでやるほど、簡単で難しいものはない。
小林克
2017年12月3日(日)
・この大海の中で
この大海の中で、ただただまっすぐ泳ぐのは難しいのかもしれないけど、
愚直にまっすぐ進みたい。
少し穏やかな波となるところまで、自分が引いて引いて引いて。
まっすぐ進むことは、決してつらいことなんかじゃない。
だって、それはぼくにすでに用意されている航路の一つ。
もう道のりは見えている。
道が見えているのなら、明るく進めばいいさ。
焦る必要はない。
ヨーホホホー!
周りの船に目もくれず、自分の航路を楽しもう。
道のりが見えてたって、その道に乗っているのは、簡単じゃない。
面舵いっぱい!帆を張って、細かに風を感じて進むのさ。
見渡す限りの大海で、余裕を持って顔を上げたなら、ほら、最高の景色が広がっている。
波だけ見ていたならもったいない。
さあ前を向いて進んでいこう。
今日もみてくださり、ありがとうございます。さあ、進もう。
小林克
2017年12月5日(火)
・憧れる自分へ
オステオパシーの創始者スティルの残している言葉で印象的だったものがある。
「私はほかのだれでもない、自分になりたいのだ。」
オステオパシーのような考えはその当時、だれも気づいていなかった。
だれを目標にすることもなく、
だれに憧れることもなく、
ただ、ただ自分の中に宿った種を掘り下げ続けたのだろう。
ほかでもない自分の理想に向けて、だれにも似てない、どんな前例もない自分へ。
憧れはきっかけにはなるけど、固執にもなる。
自分は他人にはなれないのだ。
自分は自分自身になっていくのである。
他人になろうとするより、それはずっとずっと深い道のり。
今日もみてくださり、ありがとうございます。ほかにない役割を。ほかにない自分へ。
小林克
2017年12月6日(水)
・一山超えたならまた次の山へ
人生とは山登りの連続だ。
一山超えたなら今度は次の山が見えてくる。
頂上に立ってみないとその向こうがどんな景色になっているかわからないんだ。
生きている間にどれくらい僕が歩を進めることができるだろう?
人生とは体で登っていく山じゃない。
心で登っていく山である。
その推進力は、足ではなく、明るい心。
もう一つの足は、繋がる心。
この二つで登る山。
これらが、本当の行動を起こし、自分を前に進めていく。
歯車が回れば、こんなに楽しいことはない。
さぁ回すぞ。たゆまず回すぞ。
今日もみてくださり、ありがとうございます。いろんな役割がついていく。そんな中でどう本当の行動ができるか?それは自分の心次第。
小林克
2017年12月7日(木)
・チャンスは突然やっくる。
チャンスが来る時は、正直わからないものだ。
でも、それは確実に日々の積み重ねとその準備に裏付けされている。
自分の目的をどこに持って行くかで日々の行動は変わっていく。
目的を持つかで1分、1分の意味も変わるし、きっと楽しさも変わるだろう。
日々に意味が加わることで、はじめて、一つ一つが積み重なって行く。
そうやって僕たちの準備は整って行く。
チャンスが来た時に、自分が、準備が整っている!と思うかどうかはわからない。
でも、それは時が来たということ。準備はできているということ。
あと必要なのは勇気だ。
チャンスは前頭だけに生えて、後ろ頭はハゲている。もし、これにあったらすぐに捕らえよ。
こんなことを聞いた。
大丈夫だ。もう準備はできている。あとはYESという言葉だけ。
今日もみたくださり、ありがとうございます。チャンスに気づかないというのが一番もったいないんだぁ。
小林克
2017年12月8日(金)
・自己管理
自己を管理するというのは、難しい。
バランスも大切で、あまりに厳しくすると今度は自分の自我の反発をうける。
ゆるすぎてもだらっとなってそれもまたストレスだ。
ちょうど良いところというのは、すごく感覚的で経験が必要だ。
まず自分本意になることが大切だ。
自分の気持ちをまず優先させるという意識。
自分で、本当に自分のために行ってやるということは、本質的に様々な要素を伸ばすことにもなる。
自分も控えすぎすもせず、主張しすぎもしないことは、きっと他人に対して優しく接することを可能にするだろうし、
何かトラブルがあっても、忍耐強く進むべきをきっと進める。
ちゃんとやるのが自己管理ではない。
自分と向き合うのが自己管理だ。
今日もみてくださり、ありがとうございます。しっかり真面目にやるだけじゃない。そうやってやってても自己と全く向き合ってないことだってあるのだから。
小林克
2017年12月10日(日)
・時間
時間とは面白いもので
びっくりするくらい早く過ぎることもあれば、
びっくりするくらい時計の針が進むのが遅くなるときもある。
そして、最近気づいたのが、集中することで、時計の針が進むのを遅く感じながらも、いつも以上の作業をすることも可能だということだ。
時計を意識しながら、集中して作業をすることで、短い時間で、自分が思ったより多くの作業ができたりする。
つまり、時間も意識次第だということだ。
自己管理の達人であるイチローは、
毎日同じことを繰り返す。
それこそ、ここのストレッチをしたら、15:05。
ここをしたら、15:08というほどに時計などなくても、時間感覚が身についているというから驚きだ。
意識の仕方も結局、繰り返すことで身につく。
今日もみてくださり、ありがとうございます。そうやって身につけたものは、色んなものに応用が効くんだよね。
小林克
2017年12月12日(火)
・運命
運命とはわからないものだ。
自分の予想もしなかったことが起こる。
それは、いいことも、悪いこともだろう。
人生は長い。
全てが順調に転ぶとは限らない。
でもわからないもので、順調に見えないようなことがあとで、自分にとって大切でプラスになるようなものになったり。そういうことも同様にその時はわからないのだ。
だから、落ち込んだっていいから、
時には下を向いてたっていいから、
そうやってその次に前を向けたら十分素晴らしい。
自分にあった本当の道のりなんてわからないのだから。
今日もみてくださり、ありがとうございます。下を向いていい。立ち止まっていい。またどうせ歩き出しているさ。
小林克
2017年12月13日(水)
・
あきらめない
絶対にあきらめない。
自分の行く道を。
落ち着いてまわりを見てみよう。
必ずすでにそのレールに乗っている。
今やるべきことをしていくことが、自分の近道だ。
心に惑わされてはいけない。
心は強さも生むが、弱さも卑劣さも生み出す。
まっすぐな心で見つめよう。
それが僕の生きる道だ。
すでにそのレールに乗っている。
だから、進め。もう前に進むだけだ。
今日もみてくださり、ありがとうございます。あきらめない。あきらめない。あきらめない。
小林克
2017年12月14日(木)
・
与えられた場所で咲く
今の状況には意味がある。
それは自分の因果というだけではない。
もう少し大きな意味も同時に持っている。
その場所が嫌でも良くても
まずはそこで精一杯やることが一番の近道だ。
「与えられた場所で咲きなさい。」
そんな言葉に最近出会った。
荒廃した大地の上でも、華やぐ野花の中でも、
それぞれの美しさがある。
大輪となったのなら、
どこから見たって、きらめく華だ。
今日も見てくださり、ありがとうございます。感謝からはじまる挑戦もある。
小林克
2017年12月15日(金)
・
無理をしてみる
普段は無理をしないでといっている。
状態が悪く、心がどうにも歩めなくなっている時、人は決して「無理」をしちゃいけない。
「無理」とは、「理屈」「無し」ということだ。
つまり「限度を超えている」ということ。
すでに限界を迎えている人が自分の限度を超えたのなら、それこそどんどん悪くなる。
でも元気で、健康で、気力も体力も充実しているとき、無理をしてチャレンジしてみることは、もはや「無理」ではない。
その時の「無理」は自分の心にあるブレーキ。それこそ「理屈」「無く」チャレンジしてみる。
「無理」のしどころだ。
という言葉がある。それは使う当人によって、言葉も意味が変わるということ。
人生は常に主体的に進んでいく。変わるのは自分しかいない。
今日もみてくださり、ありがとうございます。休むことも大切。
小林克
2017年12月18日(月)
・
光と闇
多くの宗教が人の生を苦しみ大きものとしているように
山あり谷ありなら、谷の方がもしかしたら多いかもしれない。
闇か光かで言ったら、基本的には闇かもしれない。
でもそう言った考えは、人の解釈が入っていて事実とは異なる。
光は定義できても、闇は定義できない。
つまり本当に闇なのか?
本当に光はないのか?ということになる。
山と谷。谷ばかりな気がするけど、本当にそうなのか?ということになる。
こういうことは、少し見方を広く持つ行為だ。
宗教から科学に考えは変わっていった。
そして、今は科学からさらに一歩大きく見方を広く持つことが求められはじめている。
本当に物事を動かしているのは、目に見えるものだけなのだろうか?
ここに来て、初期の時代、宗教家がポジティブに考察したことが、参考にもなりはじめている。
そんな本がちらほら見えはじめた。
パッと見ると後退したように見えることも、広く見ると全く違って見える。
そんな視点が必要とされている。
今日もみてくださり、ありがとうございます。きっとよくなる。
小林克
2017年12月19日(火)
・
よくみて見る。
何事も真似たりする力というのは大切な力だ。
まずよくものを見るようになる。
細かなところまで見るためには、ある程度のポイントを経験から理解しているということだ。
そう言ったな観察力は、
状況を正確に判断したり、
物事の因果を見極めたり、
多方面に必要な力を養うことになっていく。
そこから自分の体を操作するには、正確な身体認識と、動作能力も必要だ。
真似るということ一つとってもさまざまなことが言える。
とりわけよく見るということは大切にしたい。
必要な時に必要な態度をとるということは本当に難しい。
一朝一夕でできないこと。
日々こわがらずにチャレンジしたい。
今日もみてくださり、ありがとうございます。聞くという力も大切。本当に聞くって難しい。
小林克
2017年12月20日(水)
・
何が本当に人生にとって大切か?
自分にとって本当に大切なものは何か
じっくり考えてみることは大切だ。
そんなに優秀でもない僕たちは、そんなに多くのものを持っては進めない。
人生の選択に迫られたとき、
その時に考えていたのでは遅いものだ。
僕たちに限っていえば、
本当に大切なものは、心としている。
何かがあった時、まず優先すべきは、自分たちの心だ。
家族の心が明るく、生き生きしたものであるなら、他の何もいらないだろう。
だから、悩みに耳を傾けることができるし、気を使うことができるし、楽しみを2倍にすることができる。
明るくいれたなら最高だ。
暗くなっていたって、明るく生きるためなら最高だ。
明るく生きるために、生活を整え、仕事の準備をしっかりし、1日1日を大切にする。
死ぬ時は何も持っていけないのだから、最高の中で生き続ける努力をしよう。
今日もみてくださり、ありがとうございます。優先順位はそんなところから決まるのもいい。
小林克
2017年12月21日(木)
・
感情
あまりに社会的になりすぎた僕たちは、
心の中が防衛機制でいろどられているかもしれない。
自分が何を感じているのかを考える間もなく、言い訳を考えたり、他人のせいにしたり、SNSを開いている。
感情には理由がある。
そのシチュエーションがなんとなく、過去に得た経験に近いから、感情という心のエネルギーを使って、それを回避させるのだ。
しかし、その記憶は漠然としたもので、明確な区別がない。
だからこそボヤーッとした中で、変にストレスというまとまった阻害因子ととらえてしまう。
それは本当に起こっているのか?
それは本当に不安だけなのか?
じぶんの感情を正しくみつめることで、じぶんの人生が浮き彫りになる。
そうすることで、はじめて他人にたいして共感することができるようになる。
まずじぶんを知ることから。
今日もみてくださり、ありがとうございます。怒っているつもりが、さみしいだけだったりするものだ。
小林克
2017年12月22日(金)
・
いいわけ
いいわけで毎日の生活が埋まっている。
朝起きれなかった。時間を守れなかった。やれと言われたけど、できなかった。
前の日が忙しかったから、たまには休ませてくれよ、大変なことをしてるんだよ。
思いつくものは、だいたいいいわけだ。
何か思ったら、もうそれはいいわけになっている。
だったらそもそも考えない方がいい。
はい喜んで!
もうそれでいい。それがいい。
自分はなくしたほうがいい。
なくそうとしたってあるんだから。
それくらいでちょうどいい。
いいわけしたっていい。最初はどうあがいたってする。
でも、だんだんしなくなるものだ。いいわけしたってどうせやるんだから。やるならさっさとやったほうがいい。できるならもう逆に喜んで積極的にやってしまったらいい。
やればできるものだ。
今日もみてくださり、ありがとうございます。毎日必死で生きている。そっちの方がいい。
小林克
2017年12月23日(土)
・
頼まれごとは試されごと
頼まれるということは、信頼されているこということ。
あるいは社会的に当然課される仕事であるということ。
だれかとつながってなければ頼まれることなんてない。
頼まれたということは、もう少し大きな視点で見ると、その人、その社会と今よりも深く付き合うということだ。
新たな関係が生まれるということ。新たな関係のスタートは言うならば、自分が今いる世界よりもさらに世界を広げていくことでもある。
その世界には、その世界でのルールがあり、それに適応することは、その世界でも生きていけるということ。
自分を変える、変えれるということ。
だからこそ頼まれごとは、試されごと。
小さなことも無下にはできない。即行で取りかかろう。
今、まさに自分を試されている。
今日もみてくださり、ありがとうございます。いつもスケジュールが埋まってる人は多くの信頼を得ているとともに、その試練を乗り越えてきた人。
小林克
2017年12月24日(日)
・
成長と感情
この世界を構成するもの。
その一つが波の力だ。
波の力という物理法則によってこの世界は運行されている。
いつもはなんてのことのない会話が鼻に付く。いちいち不満が溢れて、腹が立つ。なんでだろう?
もしかしたら、疲れがたまっているのかもしれない。
それは、もう少し大きく見てみたら、何か大きなことを終えたからこその静かな時を身体が過ごしているだけかもしれない。
大きな波を乗り越え、静かな停滞期。
それは、次にまたより大きな波に乗っていくための一時のかがみでしかない。
そうわかっていたのなら、落ち着ける。
相手をなじったり、相手を卑下したりせず、じっと落ち着いて、少し自分の中にいれる。それは精神的な休息となる。
次には大きなチャレンジかまっている。それを達成した喜びの感情が待っている。
今日もみてくださり、ありがとうございます。自分の波の流れはなかなか自分じゃわからない。だから、出来事、感情をよくみておくことだ。
小林克
2017年12月25日(月)
・
何が悪かったかなぁ。
何か起こると何が悪かったかなぁ。って思うことがあるだろう。
体のことでも、仕事のことでも。
何かが変わってたら、今みたいな結末になっていなかったんじゃないか?
そんな思いが頭を駆け巡る。
でもそんなことはないんだよね。
何かを変えれるのはその昔じゃないんだ。
何かを変えれるのは、今だけなんだ。
その時に戻ってもきっと変えられないのよ。
その時の抑圧と、気分と、感情と。それらがバランスをとって、とってその行動となっているだけで、なんとか微妙にずらしたって、そんなに変わりゃしない。
だから、変えるとしたら問題が起こってきた今しかないんだろう。
必然であり、運命。
だけど、そこから先の方向性は自分次第。
やらなきゃいけないことはわかってるのよ。直感で。
今日も見てくださり、ありがとうございます。だから、やればできる。ということ。
小林克
2017年12月26日(火)
・
進むこと
何が起こったって、受け入れるしかない。
留まってたって、最終的には進むしかない。
引き連れて、引っ張って。
やれることって実はあまりなかったりするんだけど、
ただその日をできる限りいつも通り生きて、
残っている仕事を片付けて、
自分のできることをやって、
それしかなかったりするんだけど、
そうやって、困難な状況でもバランスをなんとか取りながら生活するその心の熱量は、
ちゃんとあとで返ってくるんだ。
それが引っ張って進むということ。
なにも難しいことはないんだよ。
だけど、一番難しいんだよね。
今日も見てくださり、ありがとうございます。何もしてなくたってちゃんと進んでる。進んでる気でいたらいい。
小林克
2017年12月27日(水)
・
全部受け入れること。
状況、環境が整って物事にあたれることなどない。
いきあたりばったり上等。
踏んだり蹴ったり上等だ。
それを受け入れる時、
それを背負える時は、
まさに今しかない。
今背負うのだ。
今背負うべきだから、そのような出来事に直面している。
どれだけ上手に振る舞おうが、頭で描いた通りになんてならない。
なんのデコボコもない、平坦な道など最初からないのだ。
ぶつかりながら進むんだ。最初からデコボコ。
全てがビギナーだ。
だから、何才になろうとチャレンジャー。
背負うなら今だ。
今日もみてくださり、ありがとうございます。全部受け取れ。ドーンとこい。
小林克
2017年12月28日(木)
・
伝える
人は空想と妄想の生き物だ。
自分の見たいように見て、自分の聞きたいように聞き、解釈しやすいように解釈する。
そんなくせがある。
でも、それは現実と随分と解離していることもある。
もしかしたら、人間関係の問題はその一つといえるかもしれない。
きっとこう思っているんじゃないか?
こう思われてるんじゃないか?
発展しすぎたノンバーバルコミュニケーション能力は取り扱いを間違うと、自己と他者との境界線が曖昧になり、妄想が現実であるかのように感じてしまう。
そうなるとまずバランスを崩してしまうのは、自分自身の精神だ。
今の世界はあまりにも急速にコミュニケーション能力が発展しすぎた。
自分の中で分類力が不十分な状態でコミュニケーションを発達させる要求が押し寄せている。
因果の関係をちゃんと見極める力がないとその波に飲まれてしまう。
そんな時必要なのは、自分に帰る時間だ。
静かに目を閉じて考えを手放していく。
その先に因果の関係が見えてくる。
本当はシンプルなんだ。
きっと大丈夫。
今日もみてくださり、ありがとうございます。シンプルな答えをみつけるためには、自分もシンプルにならないとね。
小林克
2017年12月29日(金)
・
感情
感情とはややこしいもので、
当の本人はなかなかそのエネルギーをうまく扱うことが難しい。
残って未消化となった感情のエネルギーを
ストレスともいう。
実際のところストレスを発散するというのは、感情を解放するということだ。
発散に対して有効な方法は人によって異なる。
例えば、何によって自分が怒っているとか、悲しんでいるとか、それが明確にわかる場合、その感情はその出来事を見つめたり、あるいは自分の中での落とし所を見つけることで一時的に解消される。
何か自分の感じているのがよくわからないという場合は、それと類似のことでも解消される。
例えば上司のあの発言が嫌だった、とかはそこで生まれた怒りを言葉や発声にだすこと(カラオケ)で表現され、一時的に解消される。
でもその上司が気にくわないのは変わらないからら、そのうち落とし所をみつけるだろう。
もとをただすと、自分の中にある様々な人間関係やこの世界との関わり方の解釈の不一致が見えてくる。
それを見つめることで自分の世界は広がり、より大きく関わることができてくる。
感情のエネルギーとはそのためのエネルギーなのだ。
だからこそそのエネルギーを建設的に使うために、自分に対して少し敏感になるといい。
もしも、あなたの大切な人が自分を置いてけぼりにしがちなのだったのなら、少しだけよく見てあげよう。そうすることも、自分に敏感になることでもある。
他人のためは自分のために。自分のためは他人のために。
今日もみてくださり、ありがとうございます。感情の時代だ。大きなエネルギーが動いている。
小林克
2017年12月31日(日)
・
今年も一年ありがとうございました。
過ぎ去ればあっという間で、
でも後ろを振り返ったなら、
大きな大きな変化の連続だった一年。
本当に今年の始まりのことを思ったら、180度考えは変わったんじゃないかと思うほど、
たくさんの出来事と経験をもらい、
そして、変化をもらいました。
一つの区切りとなった一年であったと思います。
来年は今いる流れを形にしていくとき。
来年からの生き方がこれから10年の僕のチャレンジのベースとなることを感じています。
覚悟をもって、いつだって、明るく、喜んで進む。
そんな信念を貫き通す強さをもった一年にしたいと思っています。
みなさんとの出会いのおかげで、本当に輝かしい毎日を過ごすことができました。
心から感謝と、皆さまの新しい年がより一層輝く一年となることをお祈り申し上げます。
今年も一年、見ていただきありがとうございました。
小林克